喩えその時が来たとしても
翌朝、俺は太陽がだいぶ昇ってからノソノソと寝床から這い出した。すると寝惚けまなこの俺の元へちょこちょこと駆け寄って、海老茶で丸まっこいラブラドールの仔犬は言った。
『やっと起きたか哲也。全く……待ちくたびれたぜ』
アオオンと、またまた大あくびの兄雅也。ヌイグルミの様に可愛いが、抱き締められないので欲求不満が募る。
「ああ兄貴、悪いワルイ。昨日は何だか気が抜けて、ドッと疲れが出ちゃってさ」
『そうそう、そういやあアン時、収穫が有ったって言ってたもんな』
兄貴は昔からそうだった。俺の話を聞き漏らす事なく、ちゃんと受け止めてくれる。
「そうなんだよ。兄貴が母さんへ説明してくれてる間に俺は……」
昨日の一部始終を兄貴に話した。仔犬なので落ち着きはないが、ハムの時よりはだいぶマシで、兄貴自身もじっくりと腰を据えて俺の話を聞けたようだった。
『……でもお前まさか、その人に惚れたんじゃないだろうな』
話が終わって、一呼吸置いて仔犬から発せられた言葉は、自ら見ないよう、気付かないようにしていた俺の心のデリケートな部分を、ものの見事に引きずり出した。仔犬のつぶらな瞳から真っ直ぐ見詰められて、俺は堪らず視線を逸らしてしまう。
「いや、そんな……俺にはめぐが居るし……」
口ごもる俺へ向けて、仔犬は更に畳み掛けてきた。
『だけどそのめぐみちゃんには会う事が出来ない。だがしおりさんとかいう女はおあつらえ向きにほんのご近所さんで、加えてお前の悪運を補って尚有り余る幸運の持ち主だ。相手への悪影響を考えなくていい』
「いや……まさか! 歳もかなり上だし……」
『ここいらで年上の女に甘えてみたくなったんじゃねえのか?』
うぐっ、仔犬の癖にこしゃくな!
とは思っても兄貴の言葉を全否定するような良い反論も見付からない。
『ほらな。沈黙は肯定って事だろ。それにめぐみちゃんには俺の事、連絡したんだろうな』
「……!!!」
しまった! それをすっかり忘れていた!!
しおりさんの家ではスマホをマナーモードにしていたから、馬場めぐみからの着信やメールに気付かなかった!
慌ててメールを打ち始めた俺を鼻で笑って兄貴は言う。
『やーっぱりな! 解りやすいんだよ、お前はっ!』
後ろ足で首を掻きながら言われると、心底呆れられているようで、癇に障る。
「別に兄貴には迷惑掛けてないんだから放っといてくれよ」
なんて憎まれ口を叩いてしまった。