喩えその時が来たとしても
なんてことなの?
今まさに奪われようとしている唇が、歓喜に震えている。私の身体全体が、渕さんのモノになりたいと打ち奮フルえている!
でも……。
「いや、そういう事じゃねぇんだめぐみちゃん」
受け入れ態勢を万全に整えていた私をアッサリ手離して、渕さんは真剣な表情のまま一歩後退りした。
「えっ? えっ? どういうこと?」
「震えて怯えてる女にエッチな事する程、俺はイカレてねえぜ。猿じゃねぇんだしよ」
「猿?」
「ああ、本能を抑え込む理性だって、人並みには有るって事さ」
渕さんの日焼けした肌から真っ白な歯が覗いた。まるで漫画のようにキラリンッと音がしたみたいだった。
カッコイイ……いいえ駄目よ。
素敵……いえいえ、そんなの許されない!
私は自分の目がハートマークにならないように、思い切り脇腹の皮をつねりながら耐えた。すると渕さんは、私の思惑なんか歯牙にも掛けずに続けた。
「そんな事よりな、めぐみちゃん。あの藤原だかフジハラだかいうアイツ、あいつは相当の好き者だ。近付かない方がいい」
「えっ?」
渕さんはそれを私に伝えたかっただけなの?
「さっきめぐみちゃんとヤツが一緒の所をチラッと見ちまったんだが……。アイツ、俺と同じ臭いがする」
渕さんと同じいい匂いはフジハラさんからはしなかったけど……そうよね、そんな意味じゃないのよね。女好きで有名を馳せる渕さんが認める女好きオーラ。モジャモジャ髭と、優しい声と瞳に巧く隠されてて、女の私には全然解らなかったけど、フジハラさんはその手の場数を相当踏んできた人なのかも知れない。
「渕さん……」
彼は相変わらず私との距離を保ったままでいる。今ならすんなりと私を手に入れることが出来るのに。何の苦労も無く私を思い通りに出来るのに。
「と、とは言っても俺はもう、めぐみちゃん一筋だけどな」
それは痛いほど解る。以前の渕さんなら、私の僅かな反応も隙も見逃すことなくガンガン攻め立てることが出来たはず。でも今は私に夢中になり過ぎて、本来持っていたスケコマシの判断力を失ってるんだわ。
そう思うと渕さんのことが可愛く思えてきた。もう彼は、牙を抜かれた毒蛇でしかない。その攻撃力たるや、私を落とすには非力過ぎる。
更に彼の敗因は、今世紀最高にして最大のチャンスを逃したこと。
「ご忠告有り難う渕さん。でも大丈夫、哲也を裏切るわけにはいかないから、そんなことにはならないわ」
私は何とか窮地を乗り切った。