喩えその時が来たとしても
とはいえ、フジハラさんはその頂上部分の三角形には間違いなく入っているはずだわ。だって家が買えるほど高い、しかも繊細で壊れやすい、修理代も部品も高価なこのメーカーの車を、何年にも渡って維持できるのだから。
「さあ、頭に気を付けて乗り込んでごらん」
「あ、は、はい」
『車に乗る』というよりも、地面に寝転がるような感じでコックピットへと滑り込んだ私は、車内を満たしている新車の香りを胸一杯吸い込んだ。
「うちの実家もつい最近車を買い替えたんですけど、こんなにいい匂いじゃないです。やっぱり庶民の車とは違いますね」
ああ、また自分を貶(オトシ)めるようなことを言ってしまった。でも……、
「庶民と言うなら俺だってそうさ。早くから家を出て一人暮しをしていたし、勿論派手な生活とは無縁だ。この車だって、親が愛情代わりに押し付けてきた物だし……」
そう返すフジハラさんのソフトヴォイスが哀しげにくぐもったのを、私は聞き逃さなかった。
いくらお金が有ったって、やっぱり心の充足感は得られないんだ。子供の頃からきっと愛に飢えていたに違いないわっ。
私は家族たちとの他愛ない、でも笑いの絶えない日常を思い浮かべてそう思うと同時に、フジハラさんのことがなんだか可哀想になってしまった。すると突然、フジハラさんの手が私に向かって伸びてくる。
いっ! いきなりですかっ!
相手を憐れんだその心の隙を突かれた私は、なす術もなく固まってしまう。そしてフジハラさんはヒゲもじゃの優しい顔で私に覆い被さってきた。
あっ、駄目っ……こんな目立つ車の中で……。人から見られちゃう。
私は覚悟を決めて全身の力を抜いた。哲也の顔が浮かんだけど、私が誘ったんじゃないんだから仕方ないわよね。
「ちょっとごめん馬場さん。この車、シートベルトがややこしいんだ。こうやってね……」
見ると彼は既に自分の席に戻っていて、私にシートベルトの付け方を教えてくれようとしているみたい。私に覆い被さってきたように思ったのも、ベルトを引っ張り出してくれてただけのこと。
「馬場さんがジーンズで良かった。スカートだったら更に面倒な事になってたよ……ん? どうかした?」
私は顔から火が出るほど真っ赤になって黙っていた。だってフジハラさんの行動には、私に対する下心なんか微塵も無かったんだから。つまりはみんな私のひとりよがり、全ては只の妄想劇場に過ぎなかったってことだもの