喩えその時が来たとしても
「どうかした?」
急に黙り込んでしまった私を気遣って、フジハラさんが声を掛けてくれる。
「いえ、こんな凄い高級車に乗るのは初めてなんで、緊張してしまって……」
嘘よウソ! 嘘っぱちだわっ!
それが証拠に、この装着が難しい六点式のシートベルトに締め上げられた股間が、欲望に正直過ぎるこの泉が、じわじわと湿度を上げているのが解るもの。
そんな私を知ってか知らずか、暴れ牛は首都高速を滑るように走っている。郊外からの登りルートなので渋滞もなく、あっという間に目的地がある電気街に着いた。
「さ、店はすぐそこだから」
フジハラさんの言葉で、私の頭は性欲から食欲へ、いとも容易くシフトした。まるでアヴェンタドールのパドルシフトのように。
そこら辺の一帯は『オタクの聖地』として有名な歓楽街でもある。メイド服姿の可愛い女の子や、外人の観光客なんかが(勿論オタクと呼ばれる人達も、仕事終わりのサラリーマンやOLとおぼしきグループも)気忙しく行き交っていた。そんな光景に目を奪われていると、私のお腹がクックッと控え目に声を上げ出した。まるで「消化の準備は万端だよ、早く食事を」と告げているかのよう。
フジハラさんの言っていたように、コインパから程無くしてその店に着いた。久し振りの焼き肉だもの、しかも随分な高級店。否が応にもテンションが上がるわっ!
そして二時間が過ぎて……。
「……ご、ご馳走さまでした」
地上に降りる階段を下り終え、焼肉屋の暖簾をくぐり出た所で、漸く私はフジハラさんにお礼を言うことが出来たの。だって私ったら、フジハラさんと何を話したかも覚えてない位に感動してたんだもの。
店員さんが焼いてくれて、焼きシャブスタイルで供されるお肉はどれも特別な逸品で、タレや付け合わせや食べ方に加え、食感を楽しむため、お肉のたたみ方さえ決められてるの。美味しさのポテンシャルを極限まで引き出すように計算し尽くされたそれは最早焼き肉じゃなかった。そうよ、創作料理と何ら変わりない工夫にあふれていたんだから。
「ホントに美味しかったです。今まで生きてきた人生の中で、一番の焼き肉でした。あのフランスパンに乗ったユッケ、あんなの初めて!」
「あのブルスケッタは俺も好きなんだ。でも良かったよ。俺も連れてきた甲斐がある。仕事の有意義な話も聞けたしね」
ズッ……ズッキュゥゥゥゥン!
駄目な私は、ヒゲもじゃのフジハラさんから放たれた、可愛いウィンクに射抜かれていた。