喩えその時が来たとしても
しおりさんを見るなり、すっかり固まってしまって微動だにしない馬場めぐみ。俺と会った途端、ここぞとばかりにまくし立てて来るのではないかと身構えていた俺は、逆にすっかり気が抜けてしまう。しかしそうやって緊張が解れた事に依って、俺は今彼女が置かれている状況を冷静に判断する事が出来ていた。
なるほど、馬場めぐみが証拠を掴んだように言っていたのは只のブラフだったのだ。俺にカマを掛けて、より深くまで核心に迫りたかったのだろう。しかしこれで立場は逆転した。
「紹介するよめぐ、こちらは牧村さん。色々相談に乗って貰ってる」
『しおりさん』と言わなかったのは馬場めぐみに対するせめてもの気遣いだ。
..
「彼女のめぐみです。いつも哲也がお世話になってます」
気のせいか、彼女の部分に激しくイントネーションが付いていたような……。まあそれは当然の事だろう。浮気現場に駆け付けた本妻は、その立場上のアドバンテージを殊更主張したがるものだ。
「牧村しおりです。めぐみさんって仰るの? 可愛いわ、わたくしの会社に欲しいくらい」
「ツアコンなんて勤まりませんよ。こいつ、英語は苦手ですから」
「受付に座っていて貰えるだけでも華やぐわよ。色が白くてとても素敵」
しおりさんの評価は上々のようだがいや待てよ? この場合、俺に対する気持ちはどうなんだ? 全く目が無くなったという事か?
そんな事を熟考する間も無く馬場めぐみからの反撃だ。
「な、なんで私は蚊帳の外なわけ? 大体会社ってなに? ツアコンってなんのことよっ! 勤まらないだの華やぐだの、勝手なことばっか言わないでよ! この馬鹿哲也っ!」
「ば……馬鹿哲也は無いんじゃないかなぁ……」
逆転したと思っていた立場はあっさりまたひっくり返った。そうだ。女に取ってこんな時は、男に落ち度の有る無しは最早どうだって良いのだ。結局今の不安や疑問やその他諸々の言葉に出来ない感情を、全て怒りのベクトルに変換して俺に向けるのが目的なのだ。それこそが彼女の精神状態を安定させるトランキライザーなのだ。
しかし、ここで引き下がる訳にはいかない。俺の不埒な願望は誠に勝手ながら別として、しおりさんは俺の命に関わる重要な人物であり、言うなれば懐刀で、最後の切り札となるであろうキーパーソンなのだから。
「めぐ。ごめん」
俺はまず、馬場めぐみの気持ちを落ち着ける事を最優先に切り出した。