喩えその時が来たとしても
「遠慮するなよ。ここには君と俺しか居ないんだから」
ここはひとつ先輩らしい優しい言葉を掛けておけ。二人っきりだという事を強調して、男女のいい雰囲気に持っていけ! 酒の力を借りて少しは気も大きくなってきた。一気に相談ごとをやっつけて馬場めぐみのハートをゲットするんだ!
「私、ちょっと前に佐藤さんから告られたんです」
「えっ? 佐藤が?」
なんだって!? そりゃ奴が馬場めぐみの事を憎からず思っている事は知っていた。想定外の事態かと言えばそれは違う。考えられなくはなかった事だ。だがこんなに早く訪れるとは思ってもみなかった。奴の神経はこと恋愛となるとbpsが飛躍的にアップするらしい。全くもって忌々しい奴だ! 俺は自分の鼓動が解る程に怒りを募らせていた。
「奴は自分の立場を利用して、パワハラのセクハラを行ったというんだな? 職場の風紀を乱すとは、断じて許せん!」
そういう事じゃない。俺の馬場めぐみを横からかっ浚うような真似をする佐藤こそが許せないのだ。この際職場が何だろうが関係無い筈なのに、また仕事に絡めてしまう自分が憎い。マダマダ飲みが足りないのだろうか。
「いいえ、先輩。そこまで大袈裟じゃないんです……身体を触られたとかも有りませんし……」
身体を触ったりしてたら即刻糾弾だ。すぐにでもこの現場から追い出してやる。だがどうしてだか馬場めぐみは佐藤の事を擁護しているようにも聞こえる。もしかして気が有るのか? 付き合う事を承諾する前に、俺から奴の人となりを聞き出そうとしているのか? いや、セクハラ方面でもっと掘り下げよう。奴みたいな鈍牛が彼女から気に入られている訳がない。
「そういう問題はひとりで抱え込んでしまうのはいけないよ。セクハラパワハラの相談窓口だったら確か、本社の総務課に有った筈だ。ひとりで行くのが嫌なら俺も付き合うから」
だが彼女の口から出た言葉は俺を奈落の底に突き落とした。
「ほんとに、そんな大したことじゃないんです。佐藤さんには『私には好きな人が居るから付き合えない』ってお断りしましたから」
好きな人が居る。彼女はそう言ってのけた。そりゃそうだ。本来ならファッショナブルなアパレル関係にでも就職して、雑誌に載っているようなイケメンを連れていてもおかしくない美人だ。家から5分のチャリンコ通勤でもなかったら、こんな風に作業着を着てはいない筈。とてもじゃないが極フツーの俺とは釣り合わない。