喩えその時が来たとしても
何? どういう事? 私の事嫌いになったんじゃないの? 度胸が無いとなんで先に帰らなきゃいけないの? まだ好きでいてもいいのっ? 私の頭の中は疑問符で満たされた。
「でも……まだ終わってないってことなのね」
メモに書かれた内容と謝罪から考えて、私のせいで先輩が帰ったんじゃない、という事でいいのだろうか。用意していた数々の予測や想像とは何ら交わる事の無かった顛末。いいえ、まだその末は見えてない。私と先輩の関係は、結末を迎えてはいないんだ。一旦は先輩を諦めた私。だけど希望が無くなった訳じゃない。グルグルと頭の中を思考が駆け巡り、私は身動きをする事も忘れ、佇んでいた。
「おお~い馬場さぁん。昨日の事は謝るから、昼に詳しい事は話すから、それまで普通にしててくれないかな。飯……奢るしさ」
なかなか事務所に上がって来ない私を心配してくれたのか、先輩がそう声を掛けてくれた。お昼はいつも家まで帰って済ませていたけど、先輩と食べられるなら、おまけに奢って貰えるなら断る理由も無い。いえ何よりも昨日の事をハッキリさせなきゃ!
「お昼、甘えさせて貰いますね。でも詰所の掃除、済ませちゃいます」
「お、おう。宜しく頼む」
普通にしててくれとはいうけど、このまま二人きりで事務所に居るのは気まずい。それは多分先輩も同じだと思う。二人で居ると否応なしに昨日の話題に触れる事になるだろう。私はその内感情的になって質問を浴びせてしまうだろうし、先輩は昼までに答えを用意しようとした予定を狂わされる事になる。早く所長でも佐藤さんでも事務の鈴木さんでも来て貰わないと間がもたない。
「はよおっす! おっ、めぐみちゃん、今日も滅茶苦茶可愛いね!」
あれ? 渕さんだ。滅茶苦茶早いんですけど。
「おはようございます渕さん。今日は早いですね」
こんな早くにトビの職方さんが来るって、搬入か何かかしら。
「ああ、実は気になる事が有ってね。早目に来てみたんだ」
埃っぽくて、少し得体の知れない臭いがするこの空間が渕さん特有のイイ匂いで満たされた。
「仕事の事ですか? 何かお手伝いします?」
「仕事……まあ大きく言えばそうかな」
ショルダーバッグをロッカーに入れている渕さんの側に行ったら、唐突に腕が背中に回されて、私はその懐に抱き止められた。
「えっ?」
「岡崎ちゃんはさ、諦めなよ。俺が代わりになってやるよ、めぐみちゃん」
頭の上から渕さんの渋い声が降り注いでくる。ああ、こんな素敵な声だったんだ。と、イイ匂いに包まれながら私は思っていた。