喩えその時が来たとしても
「じゃあラフター(自走式クレーン)はあそこの中庭に据えて貰えますか。回転半径内に民家が有るからくれぐれも注意して下さい」
オペレーターに告げた後、俺は現場に新規で入る職人達に教育する準備を整える為、詰所へ駆け込んだ。
「ああ岡崎先輩。私は何をしましょうか」
詰所の机を拭きながら声を掛けて来たのは馬場めぐみ。専門学校は服飾デザインだったが、何をまかり間違ったか建築関係に就職してしまったという変わり種。細くて背も小さいのに、何とかこの男ばかりの職場で頑張っている紅一点、いわゆる職場の華だ。一年目は色々有ったようだがどうにかこうにか乗り切って、今ではすっかりこの現場に無くてはならない存在となっている。
「馬場さん。先輩は無しだろ。また所長から嫌味言われっぞ」
この現場は所長方針で、所員同士は苗字のみで呼び合う決まりになっている。役職や上下関係を表す呼称を廃し、現場一丸となって竣工を目指す仲間になろう、という試みだ。
「そう言う岡崎さんこそ、高橋さんの事『所長』って言いましたよ?」
新人の頃には長かった髪もバッサリ切って、アッシュ系の栗色に染め上げた髪色が、彼女の白い肌にマッチしている。俺は危うくまたその薄い茶色をした瞳に吸い込まれそうになってしまった。
「先……ぱい?」
どう考えてもこの何のヘンテツも無いカーキ色した作業着が似合う筈のない彼女は、そのか細い首を傾げて俺を見上げた。
「私の話、聞いてます?」
「あ……ああ。……そ……そうだったな。じゃあラジオ体操の準備をしてくれるか?」
「もう終わってます」
間髪入れずに返答が返ってくる。ついこないだまではまだまだ半人前だと思っていた彼女だったが、この現場と余程相性が良かったのか、メキメキとスキルアップし、そこいらの二年生監督とは比べ物にならない程の成長をみせた。
「え……と……そか。じゃあ……」
口ごもっていると更に、
「現場の見取り図と搬出入予定、ロングスパンエレベーター(外部足場に備え付けられる工事用仮設エレベーター)の使用予約表も掲示しておきました」
ぐうの音も出なかった。
「ご……ごくろうさん。じゃあお茶でも飲もう。これ……」
いつものように二人分の小銭を渡すと、
「先輩は微糖ですよね」
と言いながら詰所を出て行こうとする彼女に、
「いや、今日は馬場さんと同じやつで」
なんて言ってしまった俺は、自分の吐いた言葉に何故か赤面してしまった。