喩えその時が来たとしても
「いえ、お昼に家で休んで、調子が戻らなかったらそのまま早退扱いにしてくれって言ってました。所長にもそう伝えました」
だが佐藤は墓穴を掘った。俺の行き場の無いやるせなさがパンッと音を立てて弾けた。
「俺がさっき聞いた時は『昼に行った』って言ってたよな」
あの時早退だと聞いてれば、こんなにウロウロ動き回ったりはしなかったのに。俺の身体からは自分でも解るほどに怒りのオーラが噴出していた。
「い、いえ。調子が良くなったら帰ってくるって言ってたから……」
鈍感な佐藤でさえも口ごもるほど、その時の俺は威圧感たっぷりだったのだ。そして更に問い質そうと歩を進めた時、いきなり俺の肩を抱くゴツい腕が現れた。
「よお岡崎ちゃん、後輩イジメはいけねえな。ははは」
っ! 渕! こいつ、なんで邪魔しに来やがった!?
「でっかい佐藤ちゃんがこんなに小さくなってるじゃねえか。現場は平和に運営しねえとな」
そんなのワザワザお前に言われずとも百も承知だ! その為に今までどれだけストレスを溜めて来たと思ってるんだ! こっちからすりゃお前の存在そのものがストレスだというのに!
「内々の事に口出ししないでくれるかな、渕さん」
俺は精一杯気を落ち着けて返した。早くこの場から渕を遠避けたかった。
「そんな杓子定規な事しか言えねえからめぐみちゃんをモノに出来ねえんだよ、岡崎ちゃん。彼女の事好きなんだろ?」
「なっ!? ……」
剰りの不意討ちに俺は息を吸う事さえ忘れていた。
「ハタで見てりゃ可笑しい位バレバレだよ岡崎ちゃん。みっともネエったらありゃしねぇ」
ブチッと切れたのは、はたして堪忍袋の緒か俺の毛細血管か。日頃肉体労働で鍛えた渕の鋼の様な筋肉を目の前にしても、俺は怒りを抑える事が出来なかった。
「この野郎っ!」
俺の拳が空を切る。渕は一歩後退アトズサっただけで俺の攻撃を躱す。
「ざけんなよっ?!」
今度はドスッと確かに手応えが有った。だが俺の拳は渕の鎧のような腹筋に阻まれている。
「へへ。蚊に刺されたってもっと感じるぜ、岡崎ちゃぁんっ!」
目から火花が出た。視界が歪んで顎の辺りに猛烈な痛みが襲ってきた。
「ぐぐっ、くっそぉ」
口の中が温かい鉄の味がする唾液で満たされる。普段の俺ならそれだけで戦意喪失するほどの一撃だった。だが先に手を出したのは俺だ。それにこんな『脳ミソが筋肉で出来ている』輩に白旗を上げる訳にはいかない。