喩えその時が来たとしても
岡崎先輩が謹慎したって聞いたのは朝、私がいつものように詰所の掃除をしている時だった。
「凄かったんだよお、もう。口から血を垂らしてさあ、目なんか膨れ上がってて塞がっちゃってたんだから。ああ、手伝うね」
雑巾を洗いに流しへ走っていく後ろ姿を見送りながら、私の心には色々な思考が渦巻いていた。女みたいに噂話を喋る佐藤先輩に辟易しながらも、岡崎先輩の情報は欲しい私。でも……先輩はもう私の事なんか嫌いな筈。早く忘れる為にも、いいえ、無かった事にする為にも、岡崎先輩の謹慎は(失礼だけど)丁度いい冷却期間になる。でも岡崎先輩と会えないのにこの仕事を続ける意味は有るの? そんな不純な動機で職方さん達に申し訳が立つの?
「でもなんで渕さんと喧嘩なんか……原因はなんだったんですか?」
「それがさあ……」
佐藤先輩がトロトロしているから……。
「はよおっす!」
「ざ~す」
職人さん達がやってくる時間になってしまった。……んもうっ!
「はよ~っス! おやおや、罪な女のご出勤だね」
「渕くん出入り禁止だってな」
「めぐみちゃんはどうなの、二人の男が自分の為に闘うってさ~」
えっ? どういう事? 私は耳を疑ったけど、次から次へとやって来る職人さん達から質問されて、考えている暇も与えては貰えない。
「昔だったらめぐみちゃんを賭けての決闘だもんね、いい女は辛いね~」
「いつからそうだったの? いつから二人に求愛されたの?」
「馬場さん、渕に乳揉ませたんか?」
「俺も揉みてえ~」
「岡崎くんの見舞いには行ったのか? 相当酷い事になってたぞ」
「渕もあれで刑事告訴されなかったんだから良かったじゃんな」
刑事告訴? そんなに酷い怪我だったの? 私を巡って決闘? 乳揉ませたって何よ! 渕さんはそんな事まで吹聴してたの? 二人から求愛? そりゃ渕さんからは言われたけど、岡崎先輩は私の事なんか好きじゃない筈よ? お見舞いになんか行ける筈ないじゃない、追い返されるのがオチよっ! それに住んでる所だってアヤフヤなのよ?
「馬場めぐみはお前なんかに渡さない、だっけ? シビレタよなぁ、岡崎くんのセリフ」
「そうそう、角材持って殴り掛かったけど、ありゃ相当馬場さんの事が好きなんだよ」
「でも先に岡崎さんが手を出したのは意外だったね」
先輩と渕さんは私が原因で喧嘩したんだ。先輩は私の事、好きでいてくれたんだ。……こんな私なんかの事を……。