喩えその時が来たとしても
スイマセンスイマセンもうしません、とコメツキバッタのように頭を下げる相馬。こいつは謝辞も反省する態度もすぐさま出してきて一見素直に見えるのだが、そのじつ行動が全く伴わないなかなかの難物だ。そもそもコメツキバッタって何だ? 実際見た事ないぞ。
「はよおっす! おっ、めぐみちゃん、今日も滅茶苦茶可愛いね!」
そう、そして油断ならないのがこの渕フチだ。彼は三十路半ばのいわゆる脂の乗り切った頃で、細身の長身からは男のフェロモンがカゲロウのように揺らめいている。職人に有りがちなモロワルの雰囲気と、日に焼けた精悍なマスクがいかにも女好きしそうなルックスの彼は、足場を設置したりするトビ工だ。おまけに奴からはいつもいい匂いのコロンが遠慮なく漂っていて、目をつぶっていても居場所が解る位なのだ。
「鈴木さんは来てる?」
「もういらしてますよ、しかし余りからかってセクハラにならないようにね」
俺が釘を刺すと肩を竦めて詰所を出て行く渕。彼には悪いが、その心の内は全て読めている。事務の鈴木さんは全くのブラフで、本当は馬場めぐみの気を惹こうとしているのは明らかだ。
「ざいまあす」
「ざあす」
「仕事したくねぇ……」
「さあ頑張るぞ!」
「昨日のネエちゃんはホント、最高だったからな」
「おはよおっス」
「パチンコ行こうぜ」
「おはようございます」
朝礼前になると次々に職人が集まってくる。ワラワラと涌いて出たみたいに詰所は人いきれと煙草の煙に包まれる。みんながみんな『やる気満々』とは言わないが、四人居る内の一人が全く働かなくても、それが通常の勤労効率なのだと何かの本で読んだ事が有る。そんな種々雑多な人々が竣工というゴールを目指して集結するのが現場だ。老いも若きも、男も……たま~に女も。
しかしそんなまれにしか見ない女の中に、馬場めぐみを凌駕する上玉は居ない。居よう筈もない。
「さあ、八時だ。ラジオ体操しますよ!」
尻に根が生えていつまでもその場を動こうとしない職人たちを、まるで鈍牛を追い立てるカウボーイよろしく急かす俺。現場の事は全て俺任せで所長は、いや高橋さんは事務所でゆっくり淹れ立てのコーヒーに舌鼓を打っているに違いない。