喩えその時が来たとしても
刻々と時が迫ってくる。気付けばもう一服の時間になっていた。
「めぐみちゃん、ミルクティーどうぞ」
養生屋さんの梅里さんだ。養生とは、仕上がった部分が壊れたり、汚れたりしないように緩衝材やシート等を貼り付ける仕事。たまに気が向くとこうやって奢ってくれるんだ。
「すいません。ご馳走さまですぅ~」
だけどこんなラッキーにも、私の心を弾ませる力は無い。昼までに何とか先輩から卒業する態勢を取りたい私は、どうすれば先輩を傷付ける事なく離れられるかを考えなければイケナイ。浮かれている場合じゃないのだ。詰所の隅に陣取って、作戦を練る気を盛り上げていた私に、予期せぬ名前が聞こえてきた。
「ああっ? 岡崎さん久し振りぃっ!」
「えっ? ……ええっ?!」
今何て言ったの? 先輩が来るのは昼前になるんじゃなかったのっ? 嗚呼……あのグズ佐藤! やっぱり使えないったらありゃしない。先輩に対する心構えなんか、これっぽっちも出来てないのにぃ~っ!!
「めぐみちゃん、岡崎さんだよ……あれ? さっきまで居たのに……」
危なく先輩とランデブーする所だったけど、何とか逃げ出せたわ。でも、傷付けないように離れる方法なんて有るのかしら。この皺の少ないメグミ脳じゃ、ちっとも考え付かない。
「皺々の岡崎脳が欲しいわぁ~」
そんな独り言を吐いて現場を見回る私。そうだ! 今日は午後からアンカー屋さんが来るんだ。危なくまた叱られるとこだった。アンカーを打つ場所に印を付けなきゃ。
「止まり(端部)が※デー(D)の13で、200ピッチでデー(D)とお(10)ダブルよね」
何も無いコンクリートの地面に壁を立てる時には、鉄筋の足元に差し筋アンカーという材料が要る。アンカー屋さんがコンクリートに穴を開け、鉄筋が元から生えている状態にして、それに括り付けながら鉄筋屋さんが格子状に鉄筋を組み、鉄筋の格子を芯にして型枠大工さんが枠を被せ、生コンクリートを流し込み、固まるまで待って、枠をばらしてやっと壁が出来上がる。
はたで見ている分にはニョキニョキと建物が建っていくように感じるかも知れないけど、時間も人手も手間も掛かっているんです。
5mほどの壁だったので印を付けるのもすぐ終わってしまい、やることが無くなってしまった。
※ D10、D13はそれぞれ太さが10mm、13mmの異形鉄筋(鉄筋コンクリート造で使われる、表面へ規則的に凸凹を施し、コンクリートとの馴染みを良くした鉄筋)。
200ピッチは200mm毎、ダブルは格子状の鉄筋を2重にした物。