喩えその時が来たとしても
「いけない、もうこんな時間だわ」
時計に目をやると昼休みの残りはもう30分を切っていた。私は妄想モードから頭を切り替えて、急いでシャキシャキレタスサンドと濃密野菜ジュースを手に取った。
「腸まで届く乳酸菌も忘れちゃ駄目よね」
少しお腹の弱い私の必需品を加えてレジを済ます。
「ありがとうございました。またご利用下さい」
そして私は家にとって返し、シャワーを浴びる。これでどす黒い内面が洗い流せる訳ではないけど、潤んでしまった泉をキレイにする事は出来る。身体中に微香性のコロンを吹き掛け、急いでサンドイッチを頬張り、風に当てておいた作業着を羽織る。あと10分、多分急がなくても間に合う。ゆっくり行こう。
いつも通りの打ち合わせ、でも空気が違うのは何故? 私が先輩を見ないようにしてるから? 所長に続いて先輩が復帰の挨拶をして、みんな大歓迎な筈なのに疎らな拍手。なんかおかしい。すると左官屋の溝口職長が立ち上がって挙手しているのが見えた。
「はい、溝口さんどうぞ」
進行役の佐藤先輩から指名されて、彼は口を開いた。
「えっと。皆さんもそうだと思いますがね、なんかこう……しっくり来ないんですよ」
列席している職長達はソワソワしながら話の行方を見守っているように見える。
「はっきりさせて貰いたいんだよな、岡崎さん!」
何? もしかして私との事? こんな公衆の面前で吊し上げられるなんて御免だわ! 私はこっそりその場から逃げ出した。
「ああ、危ない所だった」
幸い午後からの仕事は佐藤先輩の手元をする予定になっている。準備をする為に打ち合わせを切り上げた事にすればいい。
私が渕さんからいいようにされてなければ、みんなの前で公言しても良かったの。「私も岡崎先輩が好きです」って。でも今の私には無理。そしてその理由を聞かれてもみんなに話せるわけない。そんな軽い女だと知れればまた格好のセクハラの的になって、この現場を去らなければいけなくなる。通勤時間がゼロに近いこの好条件の現場を、みすみす手放すわけにはいかない。
「おっ、めぐみちゃあん。先に来てたんだねえ。帰っちゃったかと思ったよお」
佐藤先輩は相変わらずトロいけど、こういう時には便利に使えるから助かるわ。
「すぐ仕事に移れるように準備してたんです。これとこれ、親綱は三本用意してあります」
「さすがだねえ、めぐみちゃああん。気が利くねええ」
すっかり私の目論見通りになった。