彼はマネージャー
裏切りの後の幸福
♦
その一夜のことはもちろん、誰も知らない。
二塚に抱きしめられ、軽くキスされたことなど。
キスで雰囲気が少し変わっていたが、しかし仮に、彼にその先を求められたとしても最後までする度胸はなかっただろう。
もちろん、その想いも胸に秘めておく。
それに、良成と2人きりの部屋で思い出すことではない。
柚木は、拘りの本革のソファに腰を埋め、真っ黒な大型テレビを目の前に良成が注いでくれたグラスのオレンジジュースを一口飲んだ。
柚木が来る前に必ず買っておいてくれるオレンジジュース。些細なことからも、良成の思いがちゃんと伝わってくる。
「最近二塚とはうまくいってる?」
隣で寛ぐ何も知らないはずの良成は、出張後愚痴が減ったことをすぐに見抜いた。
「出張行って、世間話したら少し打ち解けたのかも。言い方はきついけどそうでもないんじゃないかって気がしてきたの。あの人ももうおじさんだしね」
「それって、俺も年だって言われてるの?」
「良成は2つも下じゃん?」
「たかが2つだよ。勝己良成、32歳。ただ今婚活中」
柚木は笑って答えた。
「婚活してたんだ」
「最近は妊活なんてのもあるんだって。なんて羨ましい」
「妊活ってなんか響きがいやらしいよね」
「それって俺を誘ってるの?」
「なんでそうなるの?」
比較的真面目な顔をした良成を見て、柚木は笑った。
「いや、俺も妊活したいなーなんて」
良成は熱い視線を送ってきたが、
「何それ、プロポーズ?」
笑ってスル―しようとしたが、
「プロポーズはとっくにしたんだけど、返事待ち」
「えっ!?」
彼の顔は笑っていたが、声は冗談ではなかった。
「っと……」
返事、待ちって……。
「結婚式の日から俺、返事待ってんだけどな」
「へ、返事!? あ、ごめん」
そんな話になってたっけ?? と慌ててとりあえず謝ったが、
「……断ってるの?」
と、逆に不安を与えたようだった。
「いや、そうじゃないよ」
笑おうと思ったが、良成の顔がそれどころではないくらい、真剣だった。
「あ、うん。……け、結婚式の日はびっくりした。あんな公の場所であの席で……」
「俺からすれば、一世一代の大イベントだったんだよ」
「そうだねえ……。結婚を真面目に考えてくれてるんだなあって思ってた」
「返事をすぐにでも欲しかったけどね、迷ってるのかもしれないと思ったから……」
「あ、返事がいるとは思わなかったから……だから、そのうち結婚するのかなあと思ってた」
「そのうち……。いつ、とか希望ある?」
「……具体的には……」
「あったら待つよ」
手をぎゅっと握られ、とても待ってはくれそうにない。
「……ない……」
「今日でもいい?」
「え?」
顔を上げるとすぐ側で目が合って、唇と唇が触れた。
「今日結婚しよう」
「き、今日!? どうやって??」
良成は突然身体を捩じりながらおもむろにポケットに手を突っ込んで、すぐに取り出した。
「指輪」
「えっ!?」
驚いて……。
あまりにも驚いて、
あまりにも驚いて……。
「サイズはごめん。指が細いんだな……。ぐすぐすだな」
驚いている間に、左手の薬指に少し大きなリングが嵌っていく。
「え……い、いいの?」
柚木は指輪を見つめて聞いた。大粒のダイヤが1つついたシンプルな物だが、良成のことだから、それなりに値が張るに違いない。
「何が?」
良成は左手の甲を掴んだまま聞いた。
「え、だって……私」
指輪を見つめたまま、真剣に問う。
「良成は、すごい人なんだよ? 社内ですごく有名で、できる人で、私からしたら遠い存在で、いつも尊敬してて……教えてもらってばかりで、なんだか……」
「そんな大したことないよ。俺なんか。まあ、今までもそれなりに仕事はしてきたけど、これからはちんたらしてる場合じゃなくなったから。今まで以上に仕事に打ち込んで、家庭を養っていかなきゃいけない。俺の仕事は、香織と子供を楽させることだから」
「…………」
腹を優しく触られて身構えた。
「香織……俺のためだけにここにいてほしい。他の奴にお前を使わせたりしない」
言葉に力が入っていたので、聞き返すことができなかったが、それはつまり……。
「香織、俺との人生で絶対後悔はさせない。お前の面倒は一生俺がみるよ。必ず、幸せにしてやる」
その一夜のことはもちろん、誰も知らない。
二塚に抱きしめられ、軽くキスされたことなど。
キスで雰囲気が少し変わっていたが、しかし仮に、彼にその先を求められたとしても最後までする度胸はなかっただろう。
もちろん、その想いも胸に秘めておく。
それに、良成と2人きりの部屋で思い出すことではない。
柚木は、拘りの本革のソファに腰を埋め、真っ黒な大型テレビを目の前に良成が注いでくれたグラスのオレンジジュースを一口飲んだ。
柚木が来る前に必ず買っておいてくれるオレンジジュース。些細なことからも、良成の思いがちゃんと伝わってくる。
「最近二塚とはうまくいってる?」
隣で寛ぐ何も知らないはずの良成は、出張後愚痴が減ったことをすぐに見抜いた。
「出張行って、世間話したら少し打ち解けたのかも。言い方はきついけどそうでもないんじゃないかって気がしてきたの。あの人ももうおじさんだしね」
「それって、俺も年だって言われてるの?」
「良成は2つも下じゃん?」
「たかが2つだよ。勝己良成、32歳。ただ今婚活中」
柚木は笑って答えた。
「婚活してたんだ」
「最近は妊活なんてのもあるんだって。なんて羨ましい」
「妊活ってなんか響きがいやらしいよね」
「それって俺を誘ってるの?」
「なんでそうなるの?」
比較的真面目な顔をした良成を見て、柚木は笑った。
「いや、俺も妊活したいなーなんて」
良成は熱い視線を送ってきたが、
「何それ、プロポーズ?」
笑ってスル―しようとしたが、
「プロポーズはとっくにしたんだけど、返事待ち」
「えっ!?」
彼の顔は笑っていたが、声は冗談ではなかった。
「っと……」
返事、待ちって……。
「結婚式の日から俺、返事待ってんだけどな」
「へ、返事!? あ、ごめん」
そんな話になってたっけ?? と慌ててとりあえず謝ったが、
「……断ってるの?」
と、逆に不安を与えたようだった。
「いや、そうじゃないよ」
笑おうと思ったが、良成の顔がそれどころではないくらい、真剣だった。
「あ、うん。……け、結婚式の日はびっくりした。あんな公の場所であの席で……」
「俺からすれば、一世一代の大イベントだったんだよ」
「そうだねえ……。結婚を真面目に考えてくれてるんだなあって思ってた」
「返事をすぐにでも欲しかったけどね、迷ってるのかもしれないと思ったから……」
「あ、返事がいるとは思わなかったから……だから、そのうち結婚するのかなあと思ってた」
「そのうち……。いつ、とか希望ある?」
「……具体的には……」
「あったら待つよ」
手をぎゅっと握られ、とても待ってはくれそうにない。
「……ない……」
「今日でもいい?」
「え?」
顔を上げるとすぐ側で目が合って、唇と唇が触れた。
「今日結婚しよう」
「き、今日!? どうやって??」
良成は突然身体を捩じりながらおもむろにポケットに手を突っ込んで、すぐに取り出した。
「指輪」
「えっ!?」
驚いて……。
あまりにも驚いて、
あまりにも驚いて……。
「サイズはごめん。指が細いんだな……。ぐすぐすだな」
驚いている間に、左手の薬指に少し大きなリングが嵌っていく。
「え……い、いいの?」
柚木は指輪を見つめて聞いた。大粒のダイヤが1つついたシンプルな物だが、良成のことだから、それなりに値が張るに違いない。
「何が?」
良成は左手の甲を掴んだまま聞いた。
「え、だって……私」
指輪を見つめたまま、真剣に問う。
「良成は、すごい人なんだよ? 社内ですごく有名で、できる人で、私からしたら遠い存在で、いつも尊敬してて……教えてもらってばかりで、なんだか……」
「そんな大したことないよ。俺なんか。まあ、今までもそれなりに仕事はしてきたけど、これからはちんたらしてる場合じゃなくなったから。今まで以上に仕事に打ち込んで、家庭を養っていかなきゃいけない。俺の仕事は、香織と子供を楽させることだから」
「…………」
腹を優しく触られて身構えた。
「香織……俺のためだけにここにいてほしい。他の奴にお前を使わせたりしない」
言葉に力が入っていたので、聞き返すことができなかったが、それはつまり……。
「香織、俺との人生で絶対後悔はさせない。お前の面倒は一生俺がみるよ。必ず、幸せにしてやる」