彼はマネージャー
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沖崎主任は良成の直属の部下で、その花嫁、入口社員は柚木と配属店舗が同じでしかも同期にあたる。
主賓スピーチが良成、乾杯の音頭が二塚というまさかの顔ぶれの中、柚木は勝己のことなど知らないふりをしようと決め込んで、もちろん結婚式に参加した。
そこそこの式場で皆一様に同じ黒のドレスを着て待合室で談笑する中、1人振袖を着て予想通り注目を浴びる。
鮮やかな緑に大判の白い花柄が派手に映える着物は、マネージャー補佐という肩書にぴったりなのではないかと自信を持ってめかし込んで来たのだ。
「着物!? すごい、気合入ってるぅ!」
「私なんて、成人式以来着てないよ……」
同僚の話題の中心になりながらも、控えめに
「親戚が呉服屋だから。この前結婚式の話したら親が送ってくれたのよ。もうワンピ用意してたんだけど」
「いいじゃん、一緒に写真撮ろ!」
一通りその話が終わったところで、男性参列者の中に好みの人がいるかどうかで盛り上がろうとしたその時……
「香織!」
まさかと思った。
なんでこんなに人が大勢いる中で、良成は呼び捨てで……。
柚木は恐る恐る振り返った。
「着物!? いやぁ、よく似合ってるよ。惜しいな、こんなことなら一眼レフ持ってくれば良かった」
いや、ちょっと、周りの人耳澄まして話聞いてるんですけど。
「か、勝己マネージャー。お疲れ様です……」
「そろそろ式が始まる、チャペルの方に移動しようか」
「えっ、あっ、あ……」
良成は仕事にはしていかない、余所行き用のロレックスを繁々と確認しているが、周囲からの「2人で行くの!?」という視線が痛くて仕方ない。
「あ、はい」
返事を業務用にして、勝己マネージャーに誘われたのだから仕方ない、という手で輪から外れた。
だってこのまま、良成を無視するわけにはいかない。柚木は後ろも振り返らず、そのまま良成の後に静かについて行った。
「ちょっと……なんで今呼び捨てだったんですか?」
そのスーツの後姿に問いかけたかった。
だけどそんな雰囲気ではないほどに、ロビーから式場へ向かう良成の横顔は輝いていて。
「いやあ、天気がよくて良かったな。こういう縁起物の日はやっぱり晴天に限る」
「……そうだね」
それ以外の言葉が見つからなかった。
「着物、自分で着たの?」
「まさか。着付けてもらった」
「ドレス着るとか言ってなかったっけ? バックがどうとか……」
「そのつもりだったんだけど、たまたま結婚式の話したら実家の親がこれ送ってくれて。写真撮って送らなきゃ」
「撮る? 俺とのツーショット」
こんなタイミングで、そんな込み入った話はしたくない。
「いやまあ、ツーショットもいいけど、花嫁が入ってた方がよくない? 結婚式に来ましたーって感じになるし」
「そっか……花嫁も入ってた方がいいかな。後で誰かにシャッター押してもらおう、特に着物を全身いれて」
式はあっという間に無事終わり、デジカメで花嫁との写真も綺麗に撮れた。
次の披露宴では柚木の出番は何もないので、落ち着いて食事を摂ることができる。
後輩や親友がスピーチや出し物をする中、同期という位置がこれくらい楽なら、次に結婚すると噂されている子の式にも楽に参加できるかもしれない。
そう思いながら、再び自然に良成の隣に位置している自分に気付いて少し離れた。
気付けば同僚は遠巻きにしてこちらの様子を伺っていて、今更気軽に女子陣の中には入りにくい。
なのに、食事の席は当然同期達が集まる丸テーブルだ。
何か聞かれたら、付き合っているとバラすしかないなと不安に思いながら、10数卓あるテーブルの間を名札を探しながら歩く。
「香織、こっち」
前の端の方の席を探していたのに。
良成は既に腰かけているど真ん中のど真ん前の席から手招きをしてきた。
柚木の名前がそんな所にあるはずがない。そこは、会社の上司が座る席だ。従って、良成や二塚、その他の肩書がある人のみが座ることができる席で……。
しかし、無視するわけにもいかず、素直にその手に吸い寄せられ、良成の言葉を待った。
「ここ、ここ。俺の隣」
「えっ!?……」
そんな馬鹿な!! まだ結婚してないのに!?
即座にテーブルを確認すると『勝己 良成』の隣に『柚木 香織』の名札があり、その更に隣には
「…………、…………」
二塚がいた。
なんでこんな席に!? と思われていないか不安でたまらなく、動きたくても身体がいうことをきかない。
「香織、座ったら?」
ようやく良成の声に我に返り、
「ち、ちょっと、私、こんな所に座っていいの?」
ざわついた広間で、未だ腰かけず耳元で訴えるが、
「婚約者なんだから、いんじゃないの?」
真正面を向いたその、いつもの横顔から出た言葉は、あまりにも唐突で……。
「エッ!?!?」
一瞬身体が引いてしまった。
すまし顔の良成は、驚いているこちらに気付くと、ようやく目を合せ、手に手を重ねて真面目に言った。
「という、わけ」
「えっと……」
こちらのリアクションをそのままに、良成はすんなり前を向いてしまう。
え、ちょっと、こんな公の場で……。
とても隣の二塚や、正面の他店マネージャーをはじめ、後ろの席にいる同期を見ることなどできなかった。はっきり言って、できる独身男性として超有名ともいえる、勝己 良成の隣に婚約者として自分が位置してしまっているなんて!!
将来が、決まってしまっているなんて……。
柚木は、ようやく椅子に浅く腰かけた。
「はぁ……」
隣から、二塚のイキナリ疲れてます、みたいな溜息が聞こえてそろりと振り返った。
「…………」
手持無沙汰に席辞表を眺めているが、まだ結婚もしてないのにこんな所に座ってるなんて非常識だろ、と思われていないことを祈る。
「……」
バッチリ目が合って、慌てて逸らした。
にしてもこれは、最悪だ。
というかこれ……プロポーズされた形になってるの?
凛々しく前を向き、自信満々で拍手をするその姿からは、そうとしかとれないのは確かだけれども……。
良成……、本気で結婚したいって思ってたんだ……。
「いやあ、良かったな。今まで部下の式には何回も出席したけど、一番いい式だった」
「……良かったね」
そんな他人のことより、柚木は、最後の最後で二塚と三人で行われた会話の行方が気になって仕方なかった。
最後の最後で新郎新婦と握手をして小さなプレゼントをもらって広間から退室した後、なんと二塚は柚木と並んでいる良成におもむろに話しかけたのだった。
「お疲れ様でした。いいスピーチでしたね」
二塚の方が年上なのに、完全に後輩に徹しているその姿はサラリーマンそのものであった。
大勢の人が行きかう中、同僚の視線を背中で感じてもなお、良成の側をなんとなく離れがたかった柚木は、一歩引いて良成の後ろにいた。
「ありがとう、でもやっぱり失敗できないとなると緊張したね。特に香織が隣でいるとなると尚更だよ」
良成は少し酔っていていつもよりも饒舌になっている。視線は感じたが、酔っ払いの話を一々真に受けても、と柚木は曖昧に顔を動かせて返事を避けた。
「今度の本部への出張ですが、奥さんとご一緒させていただくなんて、なんだか申し訳ないです」
二塚の猫かぶりなセリフに、柚木は耳を疑った。
「…………」
ほら、良成も言葉を失っている。
「い、いつでしたっけ?」
柚木は耐えきれずに、足を踏み出し、話題に入った。
「来月の初め。勝己さんはもう何度も行かれてるんですよね?」
「5、6回は行ったかな……。ホテルはもう予約した?」
そんなまさか、同じホテルだとしても、同じ部屋なはずがないのに何を疑っているんだと柚木はムッとしながら、
「してないです」
と、言い切る。
「いや、今回はあっちで手配してくれるみたいで手間が省けて助かりましたよ。だいたい、団体で予約した方が安いですしね」
「あ、まあ……」
良成が、要らぬ心配をしていることが顔に思い切り出ていたので、
「私は初めてのことばかりですので、二塚マネージャー、ご指導よろしくお願いします!」
思い切って頭を下げた。
それだけ言って、お開きにしよう!
「あ、いや……。なんだか、いつもと違う着物姿だと見違えますね」
お世辞のタイミング間違ってるでしょ!!
柚木はとっさに顔を逸らし、
「衣装負けしてることは分かってます」
「そ……」
「そんなことあるはずがない。着物で出社させたいくらいだ。さ、まあいい。行こう。少し酔いがまわった」
良成は何かが勘に障ったようで、「じゃあ」とだけ言い、相手の挨拶を待たず柚木の背中に手を回し、二塚から離れた。
「……いい式だったな……」
そう言う良成の顔は、酔っているせいか、何を考えているのかよく分からない。
柚木は改めて周りを確かめてから小声で、
「……二塚マネージャーのこと、嫌いなの?」
「…………」
だが、良成はそれには答えず、
「明日休みにしといてよかったよ。帰ったら帯が解ける」
「……ああ、きつくてしんどいの」
「そういうじゃなくて……」
分かっていた。手をわざわざ繋いでこなくても。
「脱がすのが惜しいけどな、その惜しさまで愛するから、心配しなくていい」
これは酔い過ぎてベッドで寝るパターンだなと苦笑しながらも、握り締めてくるその大きな手を、例え同僚が隣で話しかけてきても、振り払うことはしなかった。