彼はマネージャー
出張と危ないキス
♦
年に一度、本社で選ばれし者のみが親会社である本部でのミーティングに呼ばれるいわば聖域のような場所に、良成は既に何度も顔を出していた。
そこに、自分も二塚の補佐としてだが、参加できるようになったということは、少し良成に近づいた証拠かもしれない。と信じたい。
本部へは車で一時間、飛行機で一時間の場所にあり、たかが一泊でもスケジュール的にはハードである。今日は現地に着くなり夕方までミーティング、夜は立食パーティ、その後用意してくれたホテルで寝て、再び翌日会議の後飛行機で帰宅、しかもその次の日は出社だ。
移動中、特に飛行機の中はなるべく休憩を取り、身体を休めておかなければならない。
そう思いながら、一番窓際の柚木は二塚の隣で終始顔を背けて目を閉じていた。
もちろん、隣からかけられる声はなく、二塚の隣は通路ということもあり、彼はずっと静かに経営雑誌に視線を落としている。
この前の結婚式以来、仕事はどちらかといえばあまりうまくはいっていない。あからさまに怒られるようなことはないが、明らかに二塚の不機嫌さが見てとれることが多かった。言葉を減らしたのは、良成の影がちらついているからかもしれない。
しかしだからといって、それが良い方向に繋がっているともあまり思えず、今隣でいることもこの上ない苦痛に変わりはなかった。
逆に柚木的には、良成のことが心の中で固い核になり、心を落ち着かせてくれていた。
あれから良成は、結婚という具体的なことには触れて来ないが、充分分かり合って愛し合っている、そんな気がしていた。
小さく溜息をついて、目を開ける。
「柚木」
「あっ、はい」
まさか声をかけられると思っていなかった柚木は、突然の隣からの小声に驚いて身体を起こした。
「あの、隠してたわけじゃないんだけど」
「え?」
いつにない、若干申し訳なさそうな声と顔に、柚木は逆に身を引いた。
「な、なんですか?」
「今から話すことは、サラリーマンの習性というか……接待というか、そういうことだというふうに受け止めてくれれば幸いだ」
「……はぁ……」
シュウセイ?
何のことなのかさっぱり分からず、ただ、二塚の整った顔を見つめた。
少し眉間に皴が寄り、とても言いにくいことのようなので、
「はい、接待なんですね。分かりました。ミニスカートでお酌ですか?」
実際やれと言われたらできないかもしれないと思いながらも、少しでも二塚の口を滑らせてやる。
「いや、まあ、そういうことじゃないんだけど……」
「……はい」
でしょうね、そういう会だとしたら、良成が黙っていなかったはずだ。
「……、会長が仲人役をするのが好きな人で……という話は聞いたことがある?」
「全然、ないです。お見合いを斡旋してくれるとかですか?」
「まあ、そういうことだ」
「あぁ…………」
あ、なるほど。見合い写真を撮るか、見せられるか、か……。
「え、本格的にお見合い写真とかですか?」
「まあ……ちょっと違うけど……」
「……世話好きなんですね。あっ、いや、いい意味で」
「うん……まあ、とにかく断れないわけだ。こんな子会社の人間が。しかも選ばれて行ってるのに」
「そうですね……。でも、とりあえずはお話とかして、結局断ってもいいんですよね?」
「もちろんそうだ。要は会長の機嫌取りだ。でもそれで、実際結婚したカップルが何人もいる。社内婚だとお互い理解できるからな、何かといいのかもしれない」
「そうですよね。あ、予想ですけど。私結婚したことないから」
柚木は笑ったが、二塚は顔を崩さなかった。既に適齢期を過ぎている二塚からすれば、笑えないのかもしれない。
「えっとぉ……」
柚木は話を戻そうと、宙を仰ぐ。
「……今日、会長がホテルを予約してくれている」
「あぁ、どこのホテルですか? そういえば私知らないです。二塚マネージャーと同じホテルですか?」
「ああ、同じだ。その、パーティ会場の上の部屋だ」
「あっ、そうなんですか。良かったー、知らない場所で1人で移動するとなると、地理が分かんないから不安だったんですよー」
「あぁ、その心配はない」
二塚は固まっていた。
どう見ても不自然としか言いようがない。
目は合わせないのに、なんだか妙に話を合わせてくれている。
「……あの、何でなんかそんな不自然なんですか?」
失礼な物言いをしていることは自覚していたが、あまりにもおかしいのでそのまま流れで聞いた。
「穏便に事を済ませるためにも、できれば勝己マネージャーには黙っていた方がいいと思う」
「…………、なんですか?」
声が低くなるのが自分でも分かったので、慌てて、
「いや、どういうことですか?」
と、聞き直した。
「会長の計らいで、俺達は同じ部屋に泊まることになっている。もちろん、実際は別の所に泊まることも可能だが、そのためには他の連中に見られるのを避けないといけない」
「えっ、おんなじ??」
咄嗟に質問したが、頭は働いていなかった。
「頼むから、勘違いはしないでくれ。俺は別に何かしようとしてるわけじゃない」
「……」
必死で小声で説明するのが不自然に思えて、ただ無視してしまった。
「じ、実は一か月くらい前から聞いてたんだけど、どうしても柚木に言えなくてな。沖崎の結婚式の時はもう婚約者になってたから言うのやめて断ろうかとも思ったんだけど、とりあえず、柚木の話も聞かないと、と思って。結婚して会社辞めるとも限らないし」
「それって……とりあえずうまくやっとけば出世するってことですか?」
「そりゃそうだろう。……悪いが、婚約という状態は曖昧だ。完全に結婚しているとなれば最初から選ばれないが、婚約中だから、とわざわざ言って柚木のキャリアに逆に傷をつけるのもどうかと思ってな」
「私、結婚しても会社辞めるつもりないですし……。えっ、でも、二塚マネージャー的には、他のパートナーの人を選び直してもらった方がいいんじゃないんですか?」
「自分の相手くらい自分で選ぶよ」
二塚はあからさまにムッとして答えたが、それがおかしくて、
「……あぁ……そうですよね。すみません」
柚木はふふふと笑って、前を向いた。
「……勝己マネージャーには言う勇気がなかったな……」
あぁ、それで妙に話しかけてきたのかと、今になって納得できる。
「私もありません。別に、バレないんじゃないんですか? 今日すごくたくさん人が来るみたいですけど、うちの社からはほとんど行ってないんだし」
「話に聞く限りでは、うちの社員に会えるかどうかも分からないくらいの大人数らしい」
「みたいですね。私も少し話を聞きました。二塚マネージャーの後ろについときますね。離れないように」
「いつもそう素直だといいんだけどな」
え?
固まってしまった。
え? 私、今何て言ったっけ?
『後ろについときますね。離れないように』
そう素直だといいって……一体……。
「…………」
おそるおそる隣を盗み見た。
だが、二塚はいつもの無表情に戻って雑誌を眺めている。
深い意味などないに決まっている。
後ろについて離れないように……いつもそういう風に言ってほしい……?
いや、そういう意味じゃない……。
そんなまさか……。
そういう意味じゃない……。
……と、思う……。
年に一度、本社で選ばれし者のみが親会社である本部でのミーティングに呼ばれるいわば聖域のような場所に、良成は既に何度も顔を出していた。
そこに、自分も二塚の補佐としてだが、参加できるようになったということは、少し良成に近づいた証拠かもしれない。と信じたい。
本部へは車で一時間、飛行機で一時間の場所にあり、たかが一泊でもスケジュール的にはハードである。今日は現地に着くなり夕方までミーティング、夜は立食パーティ、その後用意してくれたホテルで寝て、再び翌日会議の後飛行機で帰宅、しかもその次の日は出社だ。
移動中、特に飛行機の中はなるべく休憩を取り、身体を休めておかなければならない。
そう思いながら、一番窓際の柚木は二塚の隣で終始顔を背けて目を閉じていた。
もちろん、隣からかけられる声はなく、二塚の隣は通路ということもあり、彼はずっと静かに経営雑誌に視線を落としている。
この前の結婚式以来、仕事はどちらかといえばあまりうまくはいっていない。あからさまに怒られるようなことはないが、明らかに二塚の不機嫌さが見てとれることが多かった。言葉を減らしたのは、良成の影がちらついているからかもしれない。
しかしだからといって、それが良い方向に繋がっているともあまり思えず、今隣でいることもこの上ない苦痛に変わりはなかった。
逆に柚木的には、良成のことが心の中で固い核になり、心を落ち着かせてくれていた。
あれから良成は、結婚という具体的なことには触れて来ないが、充分分かり合って愛し合っている、そんな気がしていた。
小さく溜息をついて、目を開ける。
「柚木」
「あっ、はい」
まさか声をかけられると思っていなかった柚木は、突然の隣からの小声に驚いて身体を起こした。
「あの、隠してたわけじゃないんだけど」
「え?」
いつにない、若干申し訳なさそうな声と顔に、柚木は逆に身を引いた。
「な、なんですか?」
「今から話すことは、サラリーマンの習性というか……接待というか、そういうことだというふうに受け止めてくれれば幸いだ」
「……はぁ……」
シュウセイ?
何のことなのかさっぱり分からず、ただ、二塚の整った顔を見つめた。
少し眉間に皴が寄り、とても言いにくいことのようなので、
「はい、接待なんですね。分かりました。ミニスカートでお酌ですか?」
実際やれと言われたらできないかもしれないと思いながらも、少しでも二塚の口を滑らせてやる。
「いや、まあ、そういうことじゃないんだけど……」
「……はい」
でしょうね、そういう会だとしたら、良成が黙っていなかったはずだ。
「……、会長が仲人役をするのが好きな人で……という話は聞いたことがある?」
「全然、ないです。お見合いを斡旋してくれるとかですか?」
「まあ、そういうことだ」
「あぁ…………」
あ、なるほど。見合い写真を撮るか、見せられるか、か……。
「え、本格的にお見合い写真とかですか?」
「まあ……ちょっと違うけど……」
「……世話好きなんですね。あっ、いや、いい意味で」
「うん……まあ、とにかく断れないわけだ。こんな子会社の人間が。しかも選ばれて行ってるのに」
「そうですね……。でも、とりあえずはお話とかして、結局断ってもいいんですよね?」
「もちろんそうだ。要は会長の機嫌取りだ。でもそれで、実際結婚したカップルが何人もいる。社内婚だとお互い理解できるからな、何かといいのかもしれない」
「そうですよね。あ、予想ですけど。私結婚したことないから」
柚木は笑ったが、二塚は顔を崩さなかった。既に適齢期を過ぎている二塚からすれば、笑えないのかもしれない。
「えっとぉ……」
柚木は話を戻そうと、宙を仰ぐ。
「……今日、会長がホテルを予約してくれている」
「あぁ、どこのホテルですか? そういえば私知らないです。二塚マネージャーと同じホテルですか?」
「ああ、同じだ。その、パーティ会場の上の部屋だ」
「あっ、そうなんですか。良かったー、知らない場所で1人で移動するとなると、地理が分かんないから不安だったんですよー」
「あぁ、その心配はない」
二塚は固まっていた。
どう見ても不自然としか言いようがない。
目は合わせないのに、なんだか妙に話を合わせてくれている。
「……あの、何でなんかそんな不自然なんですか?」
失礼な物言いをしていることは自覚していたが、あまりにもおかしいのでそのまま流れで聞いた。
「穏便に事を済ませるためにも、できれば勝己マネージャーには黙っていた方がいいと思う」
「…………、なんですか?」
声が低くなるのが自分でも分かったので、慌てて、
「いや、どういうことですか?」
と、聞き直した。
「会長の計らいで、俺達は同じ部屋に泊まることになっている。もちろん、実際は別の所に泊まることも可能だが、そのためには他の連中に見られるのを避けないといけない」
「えっ、おんなじ??」
咄嗟に質問したが、頭は働いていなかった。
「頼むから、勘違いはしないでくれ。俺は別に何かしようとしてるわけじゃない」
「……」
必死で小声で説明するのが不自然に思えて、ただ無視してしまった。
「じ、実は一か月くらい前から聞いてたんだけど、どうしても柚木に言えなくてな。沖崎の結婚式の時はもう婚約者になってたから言うのやめて断ろうかとも思ったんだけど、とりあえず、柚木の話も聞かないと、と思って。結婚して会社辞めるとも限らないし」
「それって……とりあえずうまくやっとけば出世するってことですか?」
「そりゃそうだろう。……悪いが、婚約という状態は曖昧だ。完全に結婚しているとなれば最初から選ばれないが、婚約中だから、とわざわざ言って柚木のキャリアに逆に傷をつけるのもどうかと思ってな」
「私、結婚しても会社辞めるつもりないですし……。えっ、でも、二塚マネージャー的には、他のパートナーの人を選び直してもらった方がいいんじゃないんですか?」
「自分の相手くらい自分で選ぶよ」
二塚はあからさまにムッとして答えたが、それがおかしくて、
「……あぁ……そうですよね。すみません」
柚木はふふふと笑って、前を向いた。
「……勝己マネージャーには言う勇気がなかったな……」
あぁ、それで妙に話しかけてきたのかと、今になって納得できる。
「私もありません。別に、バレないんじゃないんですか? 今日すごくたくさん人が来るみたいですけど、うちの社からはほとんど行ってないんだし」
「話に聞く限りでは、うちの社員に会えるかどうかも分からないくらいの大人数らしい」
「みたいですね。私も少し話を聞きました。二塚マネージャーの後ろについときますね。離れないように」
「いつもそう素直だといいんだけどな」
え?
固まってしまった。
え? 私、今何て言ったっけ?
『後ろについときますね。離れないように』
そう素直だといいって……一体……。
「…………」
おそるおそる隣を盗み見た。
だが、二塚はいつもの無表情に戻って雑誌を眺めている。
深い意味などないに決まっている。
後ろについて離れないように……いつもそういう風に言ってほしい……?
いや、そういう意味じゃない……。
そんなまさか……。
そういう意味じゃない……。
……と、思う……。