下町退魔師の日常
「お前が居なくなるのがマツコの苦しみなんだよ。分かんねぇのかよ!」


 息を切らしながら、幹久はまた久遠くんの胸ぐらを掴んで拳を振り上げる。


「マツコ・・・」


 シゲさんが後ろで息を飲むのが分かった。
 あたしは、振り上げた幹久の右手を掴んで。


「ムカつくわ」


 ポツリと呟くあたしを、幹久はキョトンとしながら見つめた。
 久遠くんも同じく、呆然とあたしを見上げている。
 シゲさんは深いため息をつくと、やれやれと肩をすくめた。


「マツコ?」
「・・・・・・」


 あたしは幹久から手を離すと、床に落ちていた短刀を拾って、静かに松の湯を出た。


「あぁなったらもう誰の話も聞かねぇよ。2回目だなぁ、マツコが本気で怒ったのは」


 パチンと戸が閉まるのを見つめながら、シゲさんが言った。
 幹久は、シゲさんに詰め寄る。


「何だよ・・・あれ、怒ってんのか? えらく無表情だったぞ?」
「今度ばかりは、さすがに堪忍袋の緒が切れたんだろうなぁ・・・じゃなくてもここんとこずっとストレス抱えてたからなぁ」


 久遠くんと幹久は、お互いに顔を見合わせた。


「2回目、って・・・?」
「あぁ、ここ何年も、あぁはならなかったけどなぁ。幹久、お前覚えてねぇのか?」
「は? 俺はあんなマツコ、見た事ねぇよ」


 そう答えた幹久を見つめて、シゲさんは呆れ顔で頭をポリポリと掻いた。


「あれはまだ中学生くらいだったかなぁ・・・マツコの初デートの日だ」
「でっ・・・デート!? あいつが!? 誰とだよ!!」


 シゲさんの目の前で立ち上がりかけた幹久の頭を、シゲさんはペシッと叩いた。


「お前だよ、このバカ」
「はぁぁぁぁっ!?」


 じっと見つめる久遠くんに、幹久は慌て首を振って。


「違う! 久遠、それは誤解だ!!」
「もう何年も前の話なんだ、誤解も何もない。シゲさん、何があったんだ?」
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