下町退魔師の日常
「マツコ」


 憮然として部屋に戻ろうとするあたしの背中に、久遠くんは声をかけた。


「今の俺には、お前とこの松の湯しかないんだよ。だから」


 あたしは、ゆっくりと振り返る。
 久遠くんはあたしを見上げて、笑顔を浮かべていた。


「まだ、ここで働かせてくれないか?」


 ーーうん。
 うん・・・うん!
 もちろんだよ。
 あ、もう、ダメだ。
 今何かを言ったら・・・あたしきっと、号泣しちゃう。
 だから、返事の代わりに、久遠くんに背中を向けたまま何度も頷いた。
 ここにいていいんだよ。
 ううん、いて欲しい。
 そう言ってくれて、ホントに嬉しい。


「ホントに・・・ありがとな」


 そんな声が、部屋に戻ったあたしの耳に聞こえた。
 そしてパジャマに着替えると、あたしは布団を敷いて横になる。
 良かった、久遠くん・・・。
 ここにいるって言ってくれた。
 もし隣の部屋に久遠くんが居なかったら、きっとあまりにも嬉しくて大騒ぎしてた。
 ても、枕をギュッと顔に押し付けて我慢する。


「あ、そうだ」


 不意に思い出してあたしは起き上がると、引き出しから一冊のノートを出した。
 松の湯秘伝、魔物ノート。
 まぁそんなに大袈裟なものじゃない、ただの大学ノートなんだけど。
 一応、魔物を退治した日付と現れた時間帯、戦闘にかかった時間とか、魔物の特徴などを、簡単にまとめてるんだ。
 これは、ばあちゃんの代からの習慣だ。
 だから母さんもあたしも、それを見習っている。
 こんなもんつけてどうすんのかって、たまに思うけど・・・これも、松の湯の歴史の一部だから。
 って、待てよ?
 今回の魔物退治の内容を書き終わってノートを閉じると、あたしは部屋を出て居間にある仏壇の下の棚を開ける。
 確かここら辺にある筈なんだけど・・・。
 半ば四つん這いの体勢で、あたしは棚の奥を漁る。


「何してんだ?」


 ガサゴソと探し物をしているあたしに気付いて、久遠くんも部屋から出て来た。


「ちょっと探し物を・・・あ、あった!」


 あったあった、ばあちゃんと母さんの戦闘日誌。
 と・・・あれ?
 棚の奥に入っていたのは、古びたノートが3冊。
 なんで3冊?


「何だ、それ?」


 あたしの後ろからノートを覗き込む久遠くん。


「戦闘日誌だよ。ばあちゃんと母さんの・・・」


 でも、せいぜい一年に一回か二回しか魔物退治はしないから、一人1冊で充分だと思うんだけど。
 何で3冊?
 首をかしげながら、あたしは順番にノートを開く。


「これって・・・」


 3冊目。
 いやにびっしりと文字が書かれている。
 でも、男性の字だ。
 ――まさか。


「これって、父さんの・・・?」


 あたしは、テーブルにノートを置くと、最初の部分を読み始めた。
 隣に座り、久遠くんもノートに視線を走らせて。


「鬼姫の伝説と、この町の資料だな」


 うん。
 間違いない。
 これは、父さんが調べたものをまとめてあるノートだ。
 そっか。
 ちゃんと残していてくれてんだ、じいちゃん・・・。
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