下町退魔師の日常
「あなたの命は・・・どんな魔物の血より、何人の人間の血よりも、わたくしの糧となります・・・何故ならば」


 最早、鬼姫は人間の原型を留めていなかった。
 耳元まで避けた口からは、赤く長い舌がだらりと垂れ下がっていた。


「わたくしは、心の奥底深くから、本当にあなた様を愛しておりますゆえ・・・」


 あたしはその言葉を聞き終わらないうちに、全力で鬼姫に向かって走り出していた。
 お願い、どうか。
 どうか、間に合って!
 真実という名前のジグソーパズルの、最後のピース。
 そのピースに何が描かれているのかは、未だに分からないんだ。
 この、短刀。
 鬼姫を守る為に侍が、家宝の短刀をプレゼントしたんだけれど。
 その短刀で鬼姫は、侍を殺した。
 鬼姫の想いと、侍の想い。
 どっちが、真実なんだろう。
 その答えはきっと、この一撃で分かる筈だ。
 短刀は、本当に鬼姫に糧を与える為だけのものなのか。
 それとも・・・。


「さぁ、久勝さま・・・」


 鬼姫は、耳まで裂けた口を大きく開け、久遠くんの首もとにその牙を突き付けた。
 あんたの思い通りになんて、絶対にさせるもんか!!


「久遠くん!!」


 もう少し。
 あと一歩で、鬼姫に切っ先が届く。
 そう思った時、あたしの動きが止まった。
 短刀を持ったあたしの右腕は、鬼姫に掴まれている。
 物凄い力に、あたしは顔をしかめた。
 手首の骨が軋む。


「お前の役目は終わった」


 鬼の口から紡ぎ出されるその声はもう、鈴が鳴るような透き通った声じゃない。
 低くしわがれた、老婆のような声音だった。
 激痛に悲鳴を上げそうになるのを必死に堪えて、あたしはそれでも鬼姫を睨む。


「お前も・・・我の糧となるか?」


 鬼姫は右手で久遠くんの首に爪を立て、左手であたしの手首を掴んでいる。
 そして、動けないあたしに向かって、勝ち誇ったように舌舐めずりをした。
 ジュルジュルと伸びた長い舌が、あたしの首に巻き付く。
 あまりの苦しさに、掴まれた右手から短刀が離れた。
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