下町退魔師の日常
 もう、肩の傷が痛いのかどうかすら、分からない。
 ――・・・でも。
 このあたしの命なんて、すっごいちっぽけな存在だ。
 皆を守る為なら、喜んで差し出そう。
 母さんもばあちゃんも、今のあたしと同じ気持ちだった筈だ。
 だけど二人は、ちゃんと松の湯の跡取りを産んで、育てていた。
 あたしはまだ、松の湯にとってもこの町にとっても大事なその大仕事を、達成していない。
 だからあたしは、こんなちっぽけな命でも。


「・・・まだ・・・諦めない・・・!!」


 例え素手でも、生き抜くチャンスがあれば戦う。
 この町の人達の為にも、相討ちとか、そんなキレイ事言ってらんないのよ。
 どんなに不様でも、手足の一本もぎ取られても、絶対にコイツを仕留めなきゃ。
 鬼の黒い双眸があたしの手の届く距離まで近付いた時、あたしは少しでも反撃しようと、かろうじて動く左手を振り上げた。
 だけどその時。


「ギャァァァァァ・・・!!」


 鬼がいきなり、悲鳴を上げた。
 目の前で倒れる鬼。
 その鬼の背中に乗っかるようにしながら短刀を突き刺していたのは。


「久遠くん!!」


 あたしは叫ぶ。
 どうして来たの!?
 それは女じゃないと使えないの!
 危ないから、そいつから離れて・・・!!
 言おうとするんだけど、喉から出るのは乾いた呼吸の音だけだった。


「ガァァァ・・・!!」


 背中の敵を振り解こうと、鬼は暴れる。
 久遠くんはたまらずに振り落とされた。
 鬼は今度は、空き地の地面に転がる久遠くんをターゲットに変えた。
 一瞬、鬼に身体を食いちぎられる久遠くんの映像が頭に浮かび、あたしの全身から血の気が引いた。
 それだけは。
 それだけは、絶っっ対に嫌だ!!
 あたしは何とか立ちあがる。
 何か・・・!
 石ころでも木の枝でも何でもいい、アイツが久遠くんに噛み付く前に、注意を惹き付ける何かがあれば・・・!
 だけど、動きの遅いあたしとは対照的に、鬼は一気に久遠くんに襲いかかった。
 このままじゃ久遠くんが!
 その時再び、サスケが真横から鬼の顔を目掛けてジャンプした。
 丸く突き出た鼻に噛み付き、その目に深々と爪を立てる。
 たまらずに暴れる鬼。
 だけど、深く突き刺さったサスケの爪と牙は、なかなか鬼から離れない。
 ナイス、サスケ!
 い、今のうちに・・・!
 ハァハァと息を切らしながら、あたしは這いずるようにして久遠くんの元へ急ぐ。
 その間に久遠くんも起き上がり、あたしの方へ駆け寄って来た。


「マツコ!」
「久遠くん!! 短刀は女じゃないと使えないのよ! 言ったで・・・?」


 あたしは久遠くんが持っている短刀をもぎ取ろうとして、ふと動きを止めた。
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