下町退魔師の日常
 もう、涙は流れていなかった。
 久遠くんはすっと立ち上がると、あたしが寝ているベッドに腰掛けた。


「本当に・・・バカだよな。こんな怪我してまで、みんなを守りたいのかよ」


 言いながら、あたしの前髪を撫でる。
 サスケと遊んでいる時のように、その顔は優しかった。


「バカで結構よ。今の日常を変える気はないし、松の湯の女とあの短刀があれば、この町は平和に暮らして行ける。それでいいじゃない」


 うん。
 それでいい。
 って・・・あれ?
 あたしはふと、思い出した。
 松の湯の女と、短刀。
 血を吸う事が大好きな、呪いの短刀。
 普段は錆びているけど、戦いの時にはその刀身をピカピカに光らせる。
 松の湯に伝わる話じゃそれは、女が短刀を扱った時だけ・・・の、筈だったんだけど。
 でも今回の戦いで、久遠くんが持っていても、刀身は光っていた。
 どうして?
 あたしがそれを尋ねると、久遠くんはしばらく黙ったまま、何かを考えているようだった。


「・・・なぁ、マツコ」


 重々しく、久遠くんは口を開く。


「帰って来たら俺の話・・・聞いてくれるって言ってたよな?」


 あぁ、そうだった。
 三日前、戦いに出掛ける直前に、そんな会話をしていた。


「何でも聞くよ・・・遠慮なく言って?」


 答えながら、あたしはふと思う。
 そう言えば、久遠くんから何かを話してくれるのって・・・初めてだ。
 何だかなし崩しに一緒に暮らしてきたけど・・・護守久遠っていう名前以外、あたしは久遠くんの事を何も知らないんだ。
 聞こうともしなかった。
 ――・・・ダメだな、あたしって。


「話ってのは・・・俺が受け継いだしがらみの事だよ」
「久遠くんが・・・受け継いだしがらみ?」
「あぁ。ま、色々調べてたら、この町と・・・そしてマツコ、お前に根深い関係がある事が分かってきたんだ」


 何だろ?
 ぜんっぜん、話が見えない。


「・・・どういう事かな?」


 ここはもう正直に聞く事にする。
 これはきっと、一言一句聞き逃したらいけない話なんだ。
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