下町退魔師の日常
「帰ろう。あたしがいるから・・・絶対に、久遠くんを一人にしないからね」


 ピクリと、久遠くんが身体を震わせた。


「・・・マツコ・・・」


 力なく、久遠くんがあたしに呼びかける。
 あたしは両腕に少し力を入れて、久遠くんを抱き締める。


「大丈夫。このまま帰ろう。歩けるよね?」


 あたしは久遠くんの手を取る。
 カッターナイフが、カチャリと地面に落ちた。
 人混みは、あたし達が通るとザザッと引いて道を開いた。
 あたしはそんな町の人達には視線を送らずに、久遠くんと一緒に前を見てゆっくりと進んだ。




☆  ☆  ☆




 松の湯に帰ると、シゲさんがこっちに駆け寄ってきた。


「大丈夫か、ふたりとも?」
「うん、平気。事情、分かってる?」


 あたしは久遠くんを休憩室のソファに座らせながら、シゲさんに聞いた。
 久遠くんは、俯いたままだった。


「あぁ、魚屋に電話かけて聞いたよ」


 その割には、シゲさんはさっきと変わらない。
 怒っている訳でもなく、久遠くんを否定する訳でもなく。
 ただ、やたら暑そうに手ぬぐいで汗を拭いていて。


「エアコン、もうちょっと温度下げようか?」


 あたしは苦笑しながら聞いた。


「いいよ、俺はエアコンの風は苦手なんだ」


 そう言って、シゲさんは久遠くんの隣に座った。
 久遠くんを見るでもなく、何もなかったように。
 あたしは、そんなシゲさんを見てほっとする。


「あの、さ」


 俯いたまま、動かない久遠くん。
 何て声を掛けたらいいんだろう。
 言葉が見つからず、あたしは番台に寄り掛かる。


「まっちゃん!」


 勢いよく戸が開き、幹久が入って来た。
 あたしは顔を上げる。


「あんた・・・ホントに絆創膏だけで・・・」


 包帯を巻くでもなく、絆創膏だらけの幹久。


「そんな大袈裟な怪我じゃねぇよ。それより久遠、大丈夫か?」


 幹久は、久遠くんの前にしゃがみこんでその顔を眺めた。


「俺のことだったら気にすんな。事情があるんだよな?」


 久遠くんが鬼姫と侍の子孫だってことはもう、町の人達には言ってある。
 だけど、あの衝動の事は言ってなかった。
 そして、久遠くんに衝動が起きる時は、魔物が出て来る予兆だってことも――。


「俺は・・・」


 俯いたまま、久遠くんは言った。


「済まない・・・誰にも危害を加える気はなかった」
「んなこた分かってんだよ。誰も怒ってないから全部吐き出せよ、久遠」


 二人のそんな会話を聞きながら、あたしはゆっくりと二階に上がり、短刀を手に取るとまた休憩室に戻った。


「久遠くんの衝動が起きた後は、魔物が出て来るの」


 今夜か・・・それとも明日か。
 今は夕暮れ時だ。
 夜のうちに魔物が出て来る可能性は高い。
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