短編

「塩さん呼べ」

峰國は國染と翔矢に視線をあわせたまま、國嗣に指示した。成長期のまだこない体でも峰國は兄弟で一番大きな体をしている。國嗣が指示通りにいまここから離れたら、もしかして飛びかかってしまうのではないかと迷った。
塩さんは 家でお抱えの医者であるし、これだけ顔色の悪い國染がいるのだから指示事態は間違っていないのだろう。だがこの兄は國染が関わると途端に情緒不安定になるところがある。それが國嗣には怖かった。

「塩崎医師は呼ぶなと」

翔矢はそう言ってさらに早くご退席をと続けた。
雰囲気だけだがみるみる峰國の機嫌が悪くなっていくのがわかる。
しかし今この家において、次期当主の國染の言葉は現当主の次に絶対なものである。國染が呼ぶなというなら呼んではならないのだ。
いくら血の繋がった兄弟だろうが、小学生低学年の幼い子供だろうが、これだけははっきりと差がつけられていた。

「峰國、國染は任せて静かにしてようぜ」

己が言うしかないと國嗣は峰國の肩をそっと叩いた。自分だって翔矢は嫌いだし、ムカつく存在だ。でも、引き下がるしかない。
峰國は何も反応がなく、ただつったったままだ。
國嗣は異様な雰囲気を漂わせた峰國の腕を掴み、無理矢理自分達の部屋に連れていった。
部屋に着いてもその日一日峰國は無言だったし、襖を閉じる瞬間の翔矢の顔は歪んでいて恐ろしかったし、國嗣は眠れぬ夜を過ごした。




翌朝國嗣と同じように眠らなかったであろう峰國は、眠そうな顔のまま学校にいった。
小学校五年生ともなると忙しいのだと言っていた。
國嗣は小学校に行く気になれず、結局サボることを選んだ。
母は心配そうにしていたが、父がほおっておけというとそれ以上なにも言うことはなかった。
家族の朝食の際に翔矢を後ろに控えさせた國染がいたが、昨日のことを何も知らないらしく、彼はいたって普通だった。いつもなら眉を下げて頼りなくてごめんね、だとか、翔也がすまないねだとか謝るのに。
食後は翔矢の車にのり、何処かへ行ってしまった。昨日の顔色の悪さからして仕事なのだろう、國嗣はそっと兄の背中を見送った。


いつだって兄の背中は遠く、それにぴったりと張りつくスーツの翔矢はまるで死神に思えた。

それはこの家の生業にもあったからかも知れない。この世ならざるものと接触する、ツナギヤ、という矢桐家への恐怖が。
< 2 / 23 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop