召しませヒメの甘い蜜
先ず、包丁の使い方がなっていない。
まるで子供がカッターで初めて鉛筆を削るように、包丁の柄を握り締め、恐々刃先を外へ向けて皮を剥くのだ。
これじゃ、切り傷が絶えないのも納得がいく。
「姫野さん、包丁の刃先は常に自分に向けるのが基本です」
「えぇ〜、そんな怖いこと無理です!」
「外へ向けたら歯止めが利かなくなるでしょう、その方が危険ですよ。
ほら、こうして包丁を持って、親指で皮を挟むように剥いていくんです」
「さすが先生、お上手ですね」
感心して神野の手先を覗き込む姫野のつぶらな瞳には、恐らく邪心は微塵もないと思われた。
「この美しさが料理の味にも影響あたえるんですね、きっと」
そもそも、神野がこの料理教室を主催するのは自分の容姿に自信があったからだ。
見られることに抵抗はない。
だが、こう手放しで褒められることに慣れているわけではなかった。
若くしてオーナーシェフの座を手にした神野には、世間の風当たりも強かった。
確かにオープン資金の大半は実家からの援助に頼った。
運もあるかもしれない。
だが、彼にはそれなりの自信があった。
自分の持てる料理の腕と人当たりの良さ自慢の容姿、その全てを使ってアピールすることが風当たりに対する彼なりの反抗だったのだ。
自分の容姿を看板に客を集め、料理の腕を披露して認めてもらう。
手順は逆さまでも問題ない。
実力は実力だ。
そう自分では割り切ってきたつもりだった。