この空の下で
「まだ後腹っぽいけど、大丈夫よ」

 そう言うと、芳江は少し照れくさそうに微笑んだ。

「あっ、そうそう、コレ買ってきたんだ。どっち飲む」

 雄治はカバンから、さっき買った飲み物を取り出した。そして芳江はそれを見た途端、嬉しそうな顔で言った。久しぶりに芳江の笑った顔を見た。

「ありがとう…でも、雄治が選んでよ」

「じゃあ、お前に両方とも進呈しよう」

「そう、ありがとう」

 芳江はまた微笑み、飲み物を両手で受け取った。

 この間に二人は、死産した子供がどうなったかの話題には、絶対に触れなかった。

 二人は外を見て、空をぼんやり眺めていた。雄治は何気なく腕時計を見て、ふと思い出したように言った。

「あっ、忘れてた。工場に電話しないと…悪い、芳江、ちょっと公衆電話を探してくる」

 その時芳江は、飲み物を飲み終わっていなかった。そして空いているほうの手で、雄治に手を振った。その素振りに、雄治の顔は緩んだ。雄治はカバンを持って、その場を後にした。

 203号室から出ると、雄治は大きく深呼吸をした。多分、芳江も同じ事をしているだろう。

 そして雄治はさっきの自動販売機の横にある休憩室の中に、公衆電話があるのを思い出した。そこで雄治は自動販売機のところまで、さっきと同じ道を通って戻ることにした。

 休憩室に着くと、もうすでに八十を過ぎているおじいさんが、長椅子の上にちょこんと座っていた。どうやらテレビを見ているようであったが、目がテレビの上を見ていた。そういえば、どこの部屋にもテレビがないことを思い出した。テレビは待合室と、この休憩室しか設けられていない。

 おじいさんは片手につえを、もう片手にはお茶を持っていた。しかしそのお茶はまだ開栓されていなかった。多分、指がタブにかからないからだろう。雄治は気の毒に思いながらも、休憩室の奥にある公衆電話に向かった。

 受話器を持って、財布の中からテレフォンカードを取り出して入れる。会社の名刺を取り出し、その名刺に書いてある通りに電話番号を押した。

 電話のコールが耳に鳴り響く。

 待っている間、雄治は辺りを見回して、その間の時間を費やした。おじいさんはまだ、タブに苦戦している。

 電話の向こうから聞き覚えのある声がした。
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