ロシアンルーレットⅣ【クライムサスペンス】
謎の少女
俺一人を車に置き去りにして、那智たちがどこかへ去ってから、もうかれこれ一時間以上経っている。

何か問題でも起きたか? もしや、不測の事態に対処しきれず二人とも……いやいや、それは困る。ヒゲ(高広)にブッ刺された脇腹が、地味に痛むし。

低いエンジン音が近づいて来て、リアウインドウから恐る恐る外の様子を覗き見た。真っ黒なワンボックスカーがゆっくりとこちらに向かって走って来る。その安全運転にはとても不似合いな容貌だ。フルスモークの上にボンネットはどこへぶつけたのか派手に湾曲している。動いているのが不思議なぐらいだ。

みるみる接近してきたので、俺は慌てて後部座席に仰向けの状態に戻り、言われた通りに重症患者を演じた。

乱暴に後部座席のドアが開けられる。

「皆人きゅん、お待たせー。お医者さん連れて来まちたよー」

ヒゲが赤ちゃん言葉で言う。後部座席に横たわったまま、ムッとして見上げれば、ヒゲのニヤけた顔、冷ややかに俺を見下ろす那智、その横にもう一つ、見覚えのある顔。

電車での痴漢騒動アーンド爆破騒動に巻き込まれた不運な俺を、小バカにし、嘲笑ったあの男だ。無精ひげを生やし、だらしないタラッタラのスウェットを着て、同一人物とは思えないほど、あの時よりかなり劣化しているけど、間違いなくあの男だ。

辻岡昴。

辻岡は俺の傷口を見て一言、

「重傷者……ねえ………」

呆れたように呟いた。

その直後、三人を掻き分けて俺の目の前に飛び出てきた男。

「皆人! 皆人! 大丈夫か? 誰がこんなことを? どういうことだよ、説明しろ! 高広ぉー!」

この世の終わりのように取り乱した兄貴だった。何故、兄貴がここに? 育休中ではなかったか? それより何より、俺の乃亜ちゃんの面倒をみてくれているはずでは?

「俺は大丈夫だけど……兄貴は? こんなとこで何やってんの?」

久々に見る兄貴は、どんなに無様に取り乱していようが、相変わらずのイケメンで、まるで髭を綺麗に剃ったポール・ウォーカーだ。

「誰か、このオジサンどかしてくんない? 処置できないんだけど」

冷ややかに辻岡が言う。

「龍、弟くんは心配ない。ただのかすり傷だ。しかもそのかすり傷、つけたの俺だし」

と高広。

「なんだって? どういうことだ、高広ぉー! ちゃんと説明しろー!」

ますます取り乱す兄貴。

「こういうことだろ? 俺に用があったんだよな? 部外者の俺でもわかるわ。あんたら、仲間じゃねーのかよ?」

辻岡の言葉で、ようやく兄貴が落ち着きを取り戻した。

「兄貴、一体何しに来たの? 邪魔なだけじゃん」

俺が言うと、これでもちゃんと一仕事してきたんだぞ、お前の知らないところで、と高広が兄貴をフォローするようなことを言う。

「乃亜は? 無事なの? 兄貴までここに来ちゃって、今、乃亜のこと誰が守ってくれてんの?」

「皆人、乃亜のお腹の子なんだけど……」

兄貴が重そうに口を開く。

「え? なんだよ? もったいぶんなよ、早く言えよ。お腹の子がなんなんだよ?」

「実は……俺の子だ」

ブッと、高広と那智が同時に噴き出した。しかも盛大に。

「ふっざけんなよ。やっぱ兄貴の冗談は百発百中笑えねぇ」

「今日産まれたよ。元気な男の子だ」

言って兄貴はニッと笑い、おめでとう、と俺の頭頂部の毛をくしゃっと掴んだ。

「だからって、それを伝えにわざわざここまで来たのかよ?」

「乃亜が入院したからな、とりあえずは安全だろ。お前らだけで心細いだろうと思って手伝いに来てやったんだよ。感謝しろ、感謝を」

なあ、那智くん、と続けて那智に意味深な視線を送る。それを受けて那智は、不貞腐れた顔でチッと舌打ちした。この二人、初対面のはずなのにもう打ち解けている。さすが那智くん。

邪魔くさい兄貴がおとなしくなったところで、辻岡は俺の横っ腹の傷口の手当てを始めた。ものすごく手際がよくてあっという間に終わった。と言っても、消毒して、ほっそいテープを何枚かペタペタ貼って傷口を塞ぎ、その上からガーゼ貼っただけだけど。ガーゼだけじゃ心もとないから包帯を巻いて欲しいと訴えてみたけど、鼻で笑われて終わった。

俺たちは辻岡昴に聞きたいことが沢山あったけど、辻岡は、

「俺の実家へ行け。今、俺が言えるのはそれだけだ」

の一点張り。

辻岡の実家に行って、誰に何を聞けばいいのか、一体何がわかるのか、そういうのも一切教えてくれず、とっとと濁瀬川へ帰っていった。

別れ際、辻岡とヒゲがほんの一瞬視線を交わし、小さく頷き合ったのを俺は見逃さなかった。多分だけど、辻岡は伝えるべきことを全て伝えたし、ヒゲは聞くべきことを全て聞いたんだと思う。多分だけど。
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