あの日の記憶は湿った空気のにおいと君の泣き顔に彩られている
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朝はまだ雨が降っていた。ひっそりと、けぶるような雨だった。
おれは普段は徒歩で通学しているが雨の日だけバスで学校に向かう。
玄関先でICカードがポケットに入っていることを確認して、最寄りのバス停で傘を差しながら待った。着いたバスは既に満席だったのでつり革に掴まっての立ち乗りである。
リュックサックのポケットからウォークマンとオーディオテクニカのイヤホンを取り出した。お目当ての曲を再生する。
大江千里の『rain』だ。朝の空気を濡らす雨を見ていたらふっと聴きたくなったのだ。イヤホンから流れる歌声は少しくぐもっていて耳にしっとりと馴染むし、アレンジはいかにも80年代のポップスらしい。大好きな曲の一つだ。
そしておれは大江千里を聞くたびに自分と片想いの相手を重ねていた。けれどそれはただの妄想であり、都合のいい夢である。
実際は彼女はおれの親友が好きなのだ。しかもあろうことか、おれは彼女の恋愛相談を受ける役目が与えられていた。もちろん、そんな立場に甘んじている自分は情けないと、意気地無しだとわかっている。
けれど彼女の喜ぶ顔が見たいから、おれは今日も学校に行って、彼女の話を聞かなければならなかった。