幕末オオカミ 第二部 京都血風編
第四章
・桜が散った後に
元治2年3月(現暦4月)
山南先生が亡くなったのを弔うように咲き始めた桜は、すでに盛りをすぎはじめていた。
「はあ……やっとゆっくり来られたね」
壬生屯所近くの光縁寺。
あたしと総司は、その前に花を添えて手を合わせた。
山南先生の死の真相は、近藤派の幹部にだけ伝えられた。
その他の隊士には、彼は新撰組を脱走したことによる切腹、と伝えられた。
脱走の理由は、山南先生は一切語らなかったので、誰にも真実の理由はわからない……そういうことになっていた。
当然、新撰組隊内では、さまざまな憶測が飛び交った。
腕の怪我を気に病み、自殺してしまったのだとか……。
六角獄のことで、幕府に見切りをつけ、佐幕派の新撰組から脱退しようとして失敗したとか……。
屯所移転の話で、土方副長ともめたとか……。
「49日も終わらないうちに、引越しちまったもんな」
そう、新撰組は屯所を壬生から、そう離れていない西本願寺に移転した。
西本願寺は、禁門の変の時に長州兵を匿って逃がしたという、いわくのあるお寺だ。
元々尊王思想のようで、討幕派に同情的みたい。
そこを抑えて、討幕派の逃げ場所を一つ奪ってしまうという大胆な移転計画を立てたのは、やっぱり土方副長だった。