朝鮮王朝時代の用語解説集
◇人物◇
白光炫
(※馬医の主人公)
生没年:1625~1697
本貫:林川(イムチョン)
字:叔微(スクミ)
母は昌寧曹氏(貞夫人)
妻は清州韓氏
(この辺りの部分は曖昧)
第16代国王・仁祖(インジョ)の時代に生まれ、第19代国王・粛宗(スクチョン)の時代まで生きた。馬の治療をする民間の馬医だったが、独学で鍼術を学んで人々の治療するようになります。
やがて第18代国王・顕宗の時代に、試験を受けず特例で【治腫教授(チジョンキョス)】となり、内医院の医官にも任命されました。
第17代国王・孝宗の妃、仁宣王后(インソンワンフ)や、粛宗の腫れ物を治療した功績により、王の主治医・御医(オイ)に任命されます。
1683年(粛宗9年)に康翎県監(カンヨンヒョンガム)という地方官に任命されます。
1684年(粛宗10年)には抱川県監(ポチョンヒョンガム)にも任命されます(衿川県監かも・・・)。
ドラマ「馬医」では衿川県監とされていたので、もしかしたらどちらにも(康翎、衿川)任命されていたのかもしれません。
1691年(粛宗17年)に領敦寧府事(ヨントンニョンブサ)に任命。知中枢府事(チジュンチュブサ)に任命されたとも言われています。
1692年(粛宗18年)に崇禄大夫(スンノクテブ)に任命。
1695年(粛宗21年)、重臣のユン・シワンが病気となり、「神医」と称えられていたペク・クァンヒョンが、その治療にあたります。