朝鮮王朝時代の用語解説集
粛宗の妃(仁敬王后・仁顕王后・仁元王后)
朝鮮王朝第19代国王・粛宗には3人の王妃と6人の側室がいたと言われています。承恩尚宮(スンウンサングン)止まりの場合は記録に残らない事もあるそうです。
◇仁敬王后(インギョンワンフ)金氏
本貫:光山(クァンサン)
生没年:1661~1680
宣祖時代に活躍した学者、金長生の四代孫の光城府院君・金万基の娘。
1670年 9歳の時に世子の妃・世子嬪(セジャビン)に選ばれます。
1671年 3月 世子嬪に冊封。
1674年 粛宗が即位すると共に王妃に進封。
1676年 正式に王妃に封じられました。
1680年 10月 天然痘を患い、8日後に薨去。
仁敬王后は公主(王女)を2人産んでいますが、夭折しています。
◇仁顕王后(イニョンワンフ)閔氏
本貫:驪興(ヨフン)
生没年:1667~1701
驪陽府院君・閔維重の娘。粛宗の母である明聖王后の推薦で宮廷入りしたとも言われています。
1681年 結婚し、継妃(ケビ:王の後妻)となる。
1689年 己巳換局(キサファングク)が起こり、庶民へと降格。
1694年 甲戌換局(カプスルファングク)が起こり、王妃に復位。
1701年 34歳で薨去。心臓病を患っていたとも言われています。
真面目で礼儀正しく、多くの人から慕われたと伝えられています。生涯子供を産む事はなかったそうです。