朝鮮王朝時代の用語解説集
◇仁元王后(イヌォンワンフ)金氏
本貫:安東(新安東)
生没年:1687~1757
慶恩府院君・金柱臣の娘。
1701年 仁顕王后の薨去により王妃に選ばれ、宮廷入りする。
1702年 正式に王妃に冊封される。
1711年 天然痘を患うが回復。
1713年 恵順(ヘスン)という尊号を受ける。
1720年 景宗が即位すると、大妃となる。
1724年 英祖が即位すると、大王大妃となった。
生涯子供を産む事はありませんでした。
少論(ソロン)派の重臣の娘でしたが、敵対している派閥である老論(ノロン)派の延礽君を養子とし、支えました。
南人(ナミン)派と西人(ソイン)派から分裂した、少論派と老論派。
敵対している側にいる王子を自身の養子とするには、かなりの決断があったように思われます。
王室の習わしでは一度養子を迎えた場合、その後王子を産んでもその王子には王位継承権は与えられないそうです。
景宗(キョンジョン:粛宗の息子)が1688年生まれで、英祖(ヨンジョ:景宗の弟)が1694年生まれとされているので、仁元王后は景宗より1つ年上。英祖より7つ年上と、年が近かった事が分かります。