朝鮮王朝時代の用語解説集

粛宗の側室①(禧嬪張氏)


◇禧嬪張氏(ヒビンチャンシ)
本貫:仁同(インドン)
生没年:1659~1701(9月19日生まれとされている)


名前は玉貞(オクチョン)。通訳官である張烱(チャン・ギョン)の娘。父親の従兄弟である張炫(チャン・ヒョン)も通訳官。張炫は従一品の官職に就いていました。父親は中人(チュンイン)の身分でしたが、母親が奴婢だった為、玉貞も身分的には奴婢だったと思われます。


第18代国王・顕宗(ヒョンジョン)の時代に、「従賤法(チョンチョポプ)」から「従母法(チョンモポプ)」へと変えられた。従母法とは、生まれた子供は母親の身分を引き継ぐという事。だから玉貞も父親が中人でも母親が最下層の身分であった為に、実際には奴婢の身分だったと思われます。


ドラマのタイトルで張禧嬪と呼ばれる事もありますが、禧嬪は称号の為実際に張禧嬪と呼ばれる事は無かったはず(多分)。



1680年 
仁祖の継妃であり粛宗の曾祖母にあたる荘烈王后(チャンニョルワンフ:当時は顕宗の妃である明聖王后が大妃だった為、大王大妃と呼ばれていました)の女官として宮廷入り。しかし、明聖王后の命令で宮廷から追われてしまいます。


1686年 
明聖王后の薨去により再び宮廷に戻り、承恩尚宮(スンウンサングン)となります。同じ年の12月10日に従四品の淑媛(スグォン)に任命。


1688年 
正二品の昭儀(ソイ)に昇格。同じ年の10月27日に王子である昀(ユン)を産む(後の景宗)。




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