朝鮮王朝時代の用語解説集
1689年
1月15日に昀が元子(ウォンジャ:王の長男、将来世子となるべき王子の事)に定められます。母親である昭儀張氏は禧嬪に昇格。己巳換局(キサファングク)により粛宗の継妃である仁顕王后が降格させられました。
1690年
元子が世子に冊封。同じ年の10月22日に王妃となりました。
1694年
4月12日に、甲戌換局(カプスルファングク)により王妃の地位から元の地位である禧嬪に降格。仁顕王后が復権。
1701年
仁顕王后が薨去し原因は禧嬪が呪詛した為だとされ、10月10日に王命により賜薬を与えられ処刑されました。その後、側室が王妃に昇格出来ないという法律が定められました。
己巳換局とは南人派が西人派を粛清した事件
甲戌換局とは西人派が南人派を粛清した事件
歴史上だとかなりの美貌の持ち主で悪女だったそうです(朝鮮王朝三大悪女とされています)。トンイでは悪女ではありながら、クールな一面もありました。最初の頃は、良い人だったのではないのかなと思います。身分の事もあり、上へ上へと昇りつめたい気持ちもあったのでしょう。
禧嬪様は景宗以外にもう一人盛寿という王子を産んでいますが、夭折しています。