朝鮮王朝時代の用語解説集
粛宗の側室②(淑嬪崔氏)
◇淑嬪崔氏(スクピンチェシ)
本貫:海州(ヘジュ)
生没年:1670~1718
後々、領議政に追贈された崔孝元の娘として生まれる。幼い頃から宮廷に仕えたとされるが定かではありません。兄と姉がいたとされています。
1692年
承恩尚宮となる。
1693年
4月26日に懐妊が分かった事で従四品の淑媛(スグォン)に任命。同年の10月6日に王子・永寿(ヨンス)を産みますが、同年の12月13日に夭折してしまいます。
1694年
2度目の懐妊が分かり、6月2日に従二品の淑儀(スギ)に昇格。同年の9月20日に王子・昑(クム:後の英祖)を産みます。
1695年
6月8日に、従一品の貴人(クィイン)に昇格。
1698年
3番目の王子を産みますが夭折してしまいmす。この年に、降格させられていた魯山君(ノサングン:第6代国王)を端宗(タンジョン)として復位させる。夫人も定順王后(チョンスンワンフ)に復位します。
1699年
10月23日には昑が延礽君に封じられ、貴人崔氏も淑嬪(スクピン)に昇格します。端宗の復位を祝う意味での昇格だったとされています。
この間に梨峴宮(イヒョングン)へと移り、後に延礽君と暮らしたとされています。
1718年
3月9日に延礽君の私邸で薨去。