死神と吸血鬼を好むようになった人間の過程
時たま、朝にフジコがいない日があった。
その日は、朝から何となく気分が颯爽としていた私は、単純な小学生だったようだ。
『フジコがいませんように』と願いながら登校する私を、母は笑っていた。
悔しかったが、反論の仕様がなかったのも、事実である。
その日は、朝から何となく気分が颯爽としていた私は、単純な小学生だったようだ。
『フジコがいませんように』と願いながら登校する私を、母は笑っていた。
悔しかったが、反論の仕様がなかったのも、事実である。