やっぱり、無理。
15歳の夏。
薫さんやママとの家族の絆っていうものに対して、映画賞受賞がきっかけではあったけれど、疑問をもって。
ジローのマンションで居候となり、おまけに恋人になったのだけれど。
そういう関係になっても、甘やかされる事もなく。
今まで通り勉強も見てもらい、おまけにジローの翻訳の仕事の手伝いもさせられる事になった。
手伝いとは・・・下訳なんだけれども。
それが何故か、とんでもない官能小説ばかりで。
最初真面目に訳していた英文は、すぐにそういうシーンになり・・・飛び上るほど、驚いた。
顔をまっかにして驚き慌てる私に、ジローは平然と。
「昨日の夜のおさらいだと思って、リアルに、エロく訳せよ?」
とんでもない事を言い出した。
おまけに、何を指しているのか理解できない描写になって訳せないで戸惑っていると。
すぐに実践で説明をし出すという、ハレンチぶりで。
私にとっては、体力面、精神面と・・・かなりの試練だった。
最初はありえないくらい、恥ずかしくて・・・色々・・・大変だったけれど。
慣れとは恐ろしいもので。
今となっては、訳すのにも苦労しなくなっていた。
というより、翻訳というものに魅力を感じるようになっていた。
いや、別に、官能シーンが得意というわけではなくて。
英語を、どう日本語に表現して伝えるか。
もちろん、直訳で意味はある程度伝わるのだが。
そうではなくて、自分なりに読み込んで、訳したものを読む側にどう伝えられるか。
例えば、官能小説において直訳はダイレクトな器官の表現でも、それをそのまま表現したとしても官能的にはならない。
だからといって、とんでもなく、下品な表現はしたくない。
官能小説や、無名作品でも。
特に古典的な作品はそのシーンだけではなくて、その時代の文化や、風俗、時代背景などがからめられて、案外文学としてクオリティの高いものが多いのだ。
だから、そういう面を無駄にしないような、それでいて官能を残すような表現を目指す・・・そんな模索が楽しいと思うようになった。