瞳が映す景色
「はっ…………ははっ……」
照明スイッチに手を伸ばすことも出来ない中、無理くりの干からびた笑いじみたものしか出てこない。
「――可笑しいよね。でも、僕が通い始めた頃には、君はもう若女将だったし、奥には怖そうな若旦那が睨みをきかせていたし。誰も、それが愛称だと教えてくれなかったし」
「面白い勘違いをどうも。ってか、あたし、昨日卒業したての大学生だったんだけど。入社式があるとも言った、よ……てか、やっぱ近い。距離。あたし、ニンニク臭いから、やだ……」
「そう?」
一体、何に対しての『そう』なのか、体勢は一ミリも変化せず、あたしは顔を背け続ける。
「……どいて」
「嫌だ。――どうしたの? 焦って震えてるなんて、珍しいね」
「っ、馬鹿っ!!」
からかわれて思わず睨みつけたら、至近距離としか思えない場所に綺麗な顔。
震えてなんかないし焦ってもいない。それを証明しようと、あたしは白鳥さんの肩を思い切り両手で押した。
「おっと危ないっ。――恥さらしのついでに、もうひとつ、話を聞いていってよ」
けど、 反撃は容易くかわされ、片手を捕らわれてしまった。
酷い。
「痛い……っ」
「溜まってるんだ。悩み事ひとつくらい、聞いていってよ」
優しく捕まえたままなんて酷い。
また、人妻絡みの声色だ。
それを、こんな距離でなんて、白鳥さんは酷い男だ。
「直接には言えなかったにしろ、僕は何度も何度も、彼女に想いを口にしていた。最後には、行かないでとまで言ってしまった。……けど、響かなかった、はずだよ。あんなに、あからさまにしていたのに。うん。でも当然か。根本が違ってたんた。だってさ――」
そしてあたしは、この距離にようやく違う意味を感じた。
「――彼女は、結婚なんてしてなかったから」