瞳が映す景色
顎を持ち上げられ、あの夜――あのときと同じように、白鳥さんの手が、指が、あたしの唇をなぞっていく。それだけで膝から崩れ落ちてしまいそう。
「風邪だって移っちゃうよね、あんなことしちゃ。ごめん。なかったこと、っていうか、夢落ちとか希望されてたみたいだからそうした。でも、忘れてなんかやらない。忘れる必要はなくなった」
「あっ、ああっ、あれはっ!! ……寂しそう、だったから。慰めてあげようとっ」
何を言ってしまっているんだろう。とんでもないことばかりを突然の動揺によって口にしてしまう。
背中に、つうと冷えた汗が流れた。
「それだけであんなに深く応えてくれる君じゃないでしょう。――ここの痕、もう消えちゃったよね」
「ちっ、やっ」
そうして、鎖骨の少し下、消えないでと願ってしまった場所に、唇をなぞっていた指が降りてくる。
そうだ。あたしはあなたが欲しかったなんて、言えるはずがない。
「なら、拒んでよ、僕を。でなきゃ止まらない」
指はそれ以上おりてくることはなく、また首筋を辿って頬に。優しく優しく撫でられ、感触に浸っていたくもなる。
伸びかけのショートカットを耳に掛けられ、思わず震える。そのせいだとでもいうように、か細い声で白鳥さんを制した。
悔しい。こんな止めかた、白鳥さんの思うつぼだ。口をついて出てくるのは、否定の逆の、燻っていたそれらたち。
「……っ、じゃあ、なんで、名前、呼んでくれないのよ。今だって……。あたしのことなんて、好きじゃないから……」
若女将や君。行動とは裏腹な、なんて他人行儀な……それさえも、呼ぶことを躊躇っていたじゃない。
「っ、それは……」
さっきまでとは全く違う、言い淀む声に戸惑う指先。でも、白鳥さんはあたしを解放する気などなく、捕らえられたままその姿を見つめさせられていた。