瞳が映す景色
跨がり膝立ちだった状態から、未練なんかないみたいに立ち上がった。
目尻に少しだけ滲んでしまった水分。これくらいなら夜の闇に誤魔化せる。瞳を思い切り開いて、空気に触れて早い蒸発を試みた。
見下ろすと、疑う視線が逸らされることなく向けられていて。
そんな冷たい床から見上げないで。風邪を、また、ひいちゃうよ。
「――立って。白鳥さん。大きな図体はここには邪魔」
「……」
「怒ってるの? だったら、殴ってくれていいよ」
手を差し伸べたけどそれはさらりとかわされ、長い足を狭い空間で器用に曲げ、白鳥さんは静かに立ち上がった。
「…………歯、食い縛って」
「加減、いらないから」
怖くないのはなんでだろう――そんなの、決まってる。
「目は……閉じちゃいけないよ」
「……」
瞼を上下させて頷くと、白鳥さんの右手がゆっくり振り上げられた。
拳は握られることはなく、開いた手のひらのまま、それはゆるゆるとあたしの頬に。
「自分を、『なんか』なんて言う子への、これはお仕置きだ」
そうして、長い指があたしの頬をつねっていった。
寒さで固まった頬のほぐされる痛みがほんの一瞬。他に感じたのは、白鳥さんの少しかさついた指の腹の感触と、触れてもらえたあたしの密かな高揚感。
怖くないのは、そんなの決まってる。あたしが、白鳥さんを狡く信じているからだ。
逸らさなかった視線の先の白鳥さん。その顔を、今日一番に見つめていた。言いたいことなんか沢山あるのだろうに、あたしに優しいこの人は、きっとそれを飲み込むんだ。悔しい悔しいと、切ない顔。
「……帰って。もう、会わない」
「勝手に言っていればいいよ」
玄関の扉を開けて、あたしは白鳥さんを外に押し出す。その行動に、さほど力は必要なかった。