潮にのってきた彼女
海の中は意外にも暖かかった。
小さな泡が光る海面へ昇って行くのが見える。


慌てずに、衝撃が和らぐのを待って水をかけばいい。
そう、わかってはいたのに、両足がつってしまったらしい。
水をかくことなどできやしない。

服はどんどん水を吸い込んでいる。
俺を海底に引きずり込む重しと化している。



体が沈んでいく。
思い切りばたつかせてみても、2本の腕では海と地球の巨大な合力に太刀打ちできるわけがなかった。


駄目だ。もう、息が……。
もがけばもがくほど気泡は逃げて行く。
俺を置いて。


生ぬるい海水が口に流れ込む。

海面は遠ざかり、視界はブラックアウトした。








――何かが腕に優しく触れた。


大丈夫?


どこからか、声が聞こえた気がした。
優しい、温かい声。
震え、響き、透き通る。
そんな、今までに聞いたことのないような声が。


一枚の和紙のように薄く頼りない意識の中、俺は少しだけ頭をもたげた。
その途端。

口を、温かい弾力のある何かで、塞がれた気がした――――












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