潮にのってきた彼女
「夏休みまで、あともう1週間やなあ……休みの間、1回は家戻んのやで」


ばあちゃんは基本的に上品な老人だ。
しかし今のように、言葉遣いには有無を言わさぬ強さが秘められている。


「嫌や言うても帰らすからね」

「わかってるって。何日か帰るよ」


家に帰ることが嫌なわけではない。家族は初の帰省を暖かく迎えてくれるだろう。
帰るのをためらう理由は、他にある。


「翔瑚くんが来て、もう4ヶ月かあ……早いもんやねえ」


湯のみを持った千歳さんが言った。


本当に早いものだ。
去年の今頃は1日も早く夏休みが始まって欲しい気持ちでいっぱいだった。

今年もそれに変わりはないが、休みに入っても学校の授業がなくなるだけで、特別することがあるわけでもないし。


都会の人間は短縮できた時間を一体何に充てているのだろう、と千歳さんが言っていたが、今では深く共感できる。





「いってきます」


朝飯後、いつも散歩に出かける。散歩と言っても目的地まではおよそ1分だ。

引き戸を引いて敷かれた砂利の上を歩き、門を開く。
門を閉じてアスファルトで舗装された道路に出て、砂浜への階段を下りれば散歩は終了。
目的地、海はもう目の前だ。


島へ来てから、何をするわけでもなくただ景色を眺めるだけの時間が好きになった。
眺めていて飽きない景色はそこら中にある。
島へ来て世界の美しさを知った。
人間が食い荒らす地球は、時として息をのむほど美しく輝くのだ。



砂浜に立って大きく息を吸った。
風が強い。
呼吸をするたび体中に潮の香りが巡っていく。
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