潮にのってきた彼女
今日はあんまりせみがうるさくなかった。
そろそろ命を終え始めるせみも増えてきた頃なのだろう。

あの林の中では、一体いくつの命が生まれ、消えるのだろうか。
そこで生まれる前には、小さな命たちも海にいたことがあるのかもしれない。


「翔瑚は」


唐突に、静かに、夏帆は言った。


「海と山、どっちが好き?」


海がざざーんと吠えた。
山の鳥たちのさえずりを思い出した。
潮の香りの錯覚がした。
緑の草いきれを思い浮かべてみた。

ゆるぎない勝利があった。


「……海」


ひゅおりと潮風が俺たちの間を吹きぬけた。

その一瞬に、夏帆は顔を歪めた。
涙が出てきてもおかしくないような感じの顔をした。

しかし一瞬が過ぎると、夏帆はにっこり笑ってみせた。


「……あたしも海が好き」


夏帆は立ったままサンダルを手から離し、無造作に足を突っ込んだ。
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