シンデレラを捕まえて
* * *
スペインバル『GIRASOL(ヒラソル)』。
パエジャが絶品だと有名なこの店の中は、赤煉瓦の壁と一風変わった木製家具で構成されている。
ところどころに間接照明を配置した店内は程よく薄暗く、落ち着いた雰囲気。溢れる木製品のお蔭もあってか、どこか温かさも感じる居心地の良い店だ。
席数は余り多くない。小ぢんまりとしているこのGIRASOLは私たちの行きつけで、何かあるたびに無理を言って貸切にしてもらっている。
今夜もまた店を借り切って、とある会を執り行っていた。
「では、美羽ちゃんのこれからの活躍を祈って! かんぱーい!」
総合チーフである椋田(むくた)さんが音頭を取ると、皆が大きな声で「かんぱーい!」と続いた。そこかしこでグラスがぶつかる音がする。
「ありがとうございます。こんな会まで催して頂いちゃって……」
ビールジョッキを両手で抱えた私は、ぺこぺこと頭を下げた。
「何言ってんの。美羽ちゃんがいたから私たちスタッフは安心して働けたんだよ。裏方がいないと色々困っちゃうんだから。ねえ、みんな」
椋田さんがそう言って辺りを見渡すと、みんながうんうん、と頷いてくれた。
「そう言ってくれるとすごく嬉しいです。ありがとうございます」
会の名目は、『送別会』。
私、高梨美羽(たかなし・みう)は、今日を以って七年勤めていた会社を退職することになったのだ。
総合ビューティサロンBonne Journee(ボンヌ・ジュルネ)。
フランス語でよい一日を、という意味のこの会社は、『明日を綺麗にする場所』をコンセプトにしている。
持ちビル内にヘアサロン、エステサロン、ネイルサロン、それといくつかのセレクトショップを収めており、ここに来れば美容関係は全て事足りるというのが大きな売りだ。
私は大学を卒業した二十二の年からずっと、このボンヌで事務雑務をこなしてきた。いうなれば、雑用係だ。ヘア・ネイル・エステの三部門の間をちょろちょろしては、備品の補充や発注、リネン類の処理をする。手が空いている時には受付業務をして、お客様カルテの整理をする。そんな役割。
雑用係とはいえ、美しさを作る仕事の一端を担っていることに自負のようなものを持っていたし、自分の出来ることはなんでもやってきたつもりだ。この仕事に充実感を覚えてもいた。
そんな会社をどうして辞めるのか。二十九という年齢からして、寿退社と思われるかもしれない。だけど残念。そうじゃない。
理由は、『スキルアップ』だ。
経理事務か、医療事務。そのどちらかの資格を取って新しいことにチャレンジしてみたい。そう言って退職願を出した私を、社長を始めとした皆は、応援するよと送り出してくれることになったのだ。
本当は、違うんだけど。
対角線上の席で談笑している男性を窺い見て、そっと笑った。
私には、一年ほど付き合っている彼氏がいる。
ボンヌのヘアサロン部でスタイリストをしている栗本比呂(くりもと・ひろ)が、その人だ。ぼんやりして、うっかりミスが多い私を支えてくれる頼りがいのある人。
美容師としての技術が高くて、比呂の施術目当てに通って来る人も多い。私の自慢の彼氏だ。
だけど、ボンヌは社内恋愛を余り歓迎していない社風だった。以前に社員同士の恋愛でゴタゴタがあり、社内の雰囲気が最悪なものになったという過去からの事だそう。
なので、比呂とのお付き合いは誰にも言えない、秘密のものだった。
本当は、皆に言いたかった。
このすっごくかっこいいひとは私の彼氏なんですよー、って。私の好きな人なんですよーって。
スペインバル『GIRASOL(ヒラソル)』。
パエジャが絶品だと有名なこの店の中は、赤煉瓦の壁と一風変わった木製家具で構成されている。
ところどころに間接照明を配置した店内は程よく薄暗く、落ち着いた雰囲気。溢れる木製品のお蔭もあってか、どこか温かさも感じる居心地の良い店だ。
席数は余り多くない。小ぢんまりとしているこのGIRASOLは私たちの行きつけで、何かあるたびに無理を言って貸切にしてもらっている。
今夜もまた店を借り切って、とある会を執り行っていた。
「では、美羽ちゃんのこれからの活躍を祈って! かんぱーい!」
総合チーフである椋田(むくた)さんが音頭を取ると、皆が大きな声で「かんぱーい!」と続いた。そこかしこでグラスがぶつかる音がする。
「ありがとうございます。こんな会まで催して頂いちゃって……」
ビールジョッキを両手で抱えた私は、ぺこぺこと頭を下げた。
「何言ってんの。美羽ちゃんがいたから私たちスタッフは安心して働けたんだよ。裏方がいないと色々困っちゃうんだから。ねえ、みんな」
椋田さんがそう言って辺りを見渡すと、みんながうんうん、と頷いてくれた。
「そう言ってくれるとすごく嬉しいです。ありがとうございます」
会の名目は、『送別会』。
私、高梨美羽(たかなし・みう)は、今日を以って七年勤めていた会社を退職することになったのだ。
総合ビューティサロンBonne Journee(ボンヌ・ジュルネ)。
フランス語でよい一日を、という意味のこの会社は、『明日を綺麗にする場所』をコンセプトにしている。
持ちビル内にヘアサロン、エステサロン、ネイルサロン、それといくつかのセレクトショップを収めており、ここに来れば美容関係は全て事足りるというのが大きな売りだ。
私は大学を卒業した二十二の年からずっと、このボンヌで事務雑務をこなしてきた。いうなれば、雑用係だ。ヘア・ネイル・エステの三部門の間をちょろちょろしては、備品の補充や発注、リネン類の処理をする。手が空いている時には受付業務をして、お客様カルテの整理をする。そんな役割。
雑用係とはいえ、美しさを作る仕事の一端を担っていることに自負のようなものを持っていたし、自分の出来ることはなんでもやってきたつもりだ。この仕事に充実感を覚えてもいた。
そんな会社をどうして辞めるのか。二十九という年齢からして、寿退社と思われるかもしれない。だけど残念。そうじゃない。
理由は、『スキルアップ』だ。
経理事務か、医療事務。そのどちらかの資格を取って新しいことにチャレンジしてみたい。そう言って退職願を出した私を、社長を始めとした皆は、応援するよと送り出してくれることになったのだ。
本当は、違うんだけど。
対角線上の席で談笑している男性を窺い見て、そっと笑った。
私には、一年ほど付き合っている彼氏がいる。
ボンヌのヘアサロン部でスタイリストをしている栗本比呂(くりもと・ひろ)が、その人だ。ぼんやりして、うっかりミスが多い私を支えてくれる頼りがいのある人。
美容師としての技術が高くて、比呂の施術目当てに通って来る人も多い。私の自慢の彼氏だ。
だけど、ボンヌは社内恋愛を余り歓迎していない社風だった。以前に社員同士の恋愛でゴタゴタがあり、社内の雰囲気が最悪なものになったという過去からの事だそう。
なので、比呂とのお付き合いは誰にも言えない、秘密のものだった。
本当は、皆に言いたかった。
このすっごくかっこいいひとは私の彼氏なんですよー、って。私の好きな人なんですよーって。