シンデレラを捕まえて
「ふうん……スキルアップ、ねえ」
元気を無くした穂波くんが呟く。ちょっと不機嫌そうなのは、残念がってくれているから?
私がいなくなることを悔やんでくれる人がいるのは有難いなと思う。
「ふふ、ありがとう、穂波くん。そうやって名残惜しげにされるのって、ちょっと嬉しい」
「名残惜しいどころじゃないよ。ていうか、辞めた後も来てくれるよね?」
「もちろんだよ。私、ここの生ハムと海老のアヒージョ大好きだもん。絶対食べにくる」
「よかった。俺、美羽さんが来るの、楽しみにしてたから」
穂波くんは本当に安心したように声音を弾ませて言った。
この店に通っている内に、自然とスタッフさんたちと親しくなった。そんな中でも私が一番気楽に話をすることが出来たのが、この穂波くんだった。
最初は、大きな体と鋭い目つきに気圧されてしまって満足に目も合わせられなかった。迫力のあるイケメンさんとの接触なんてこれまでの人生でなかったもん。
だけど、笑った瞬間すごく柔らかな雰囲気になって「また来てくださいね」って優しい声音で言われた時から、私の警戒心は解けた。
感じがいいなあ、この人。そう思って、そしてそれは間違いじゃなくて、私はここに来るたび、穂波くんとなんてことない会話を楽しめるようになったんだ。
「本当にありがとね、穂波くん。営業トークであっても鵜呑みにして喜んじゃう」
「営業トークとかじゃないし! 俺、美羽さんのこと」
「こらこら、穂波ぃ。美羽ちゃんにばっかりかまってないで、私のワインもってこーい!」
がば、と穂波くんの背後に抱きついたのは、すっかり酔った様子の椋田さんだった。今年四十歳になる椋田さんは、普段はバリバリ仕事をこなすかっこいい女性なのなのだけれど、お酒が入ると途端にかわいくなる。今も、仕事中じゃ考えられないようなへにゃへにゃした笑顔で、穂波くんの逞しい首を絞める真似をしていた。
「いっつもいっつも美羽ちゃんばっかりに声かけちゃってー。お前も若い子が好きかぁ」
「苦しいっすよー、姐さん。ほらほら、ワインでしょ。持ってくるから待ってて」
「どうせ美羽ちゃんのこと狙ってるんでしょぉ」
「ほらほら、椋田さん。穂波くんが苦しそうですよ? ほら、サーモンのテリーヌ、食べませんか? お好きでしたよね」
立ち上がり、椋田さんの分を取り分ける。
「美羽ちゃんありがとぉ」
むふふ、と椋田さんが笑った、その時だった。
「実は私も、今度退職するんです」
ざわめきをかき消すような、凛とした声が店内に響いた。
「え?」
するりと穂波くんの首から手を離した椋田さんが振り返る。
私も、穂波くんの向こう側に視線をやった。
声の主は、比呂の横に座っていた薫子さんだった。
「え?」
みんなの視線を集めた薫子さんは、ふいに比呂の腕を掴んで立ち上がった。
「なんと! 私はこのたび、この栗原比呂と結婚する事になりました!」
……え?
冗談? 聞き間違い?
混乱する私を置いて、薫子さんは幸せそうに笑いながら続けた。
「現在妊娠三ヶ月です。授かり婚なの。ね、比呂?」
比呂に視線を向ける。呆然とした表情だった比呂が慌てて「今言うことじゃないだろ」と言う。そんな比呂に、薫子さんはぷう、とかわいらしく頬を膨らませてみせた。
「だって、早く言いたかったんだもん。それに、祝福は一人でも多い方が嬉しいでしょ? だから私ね、美羽ちゃんがいる間に言いたかったの」
ね、美羽ちゃん。と薫子さんが私に顔を向けた。
「お祝い、言って」
その眼は全然、笑っていなかった。
元気を無くした穂波くんが呟く。ちょっと不機嫌そうなのは、残念がってくれているから?
私がいなくなることを悔やんでくれる人がいるのは有難いなと思う。
「ふふ、ありがとう、穂波くん。そうやって名残惜しげにされるのって、ちょっと嬉しい」
「名残惜しいどころじゃないよ。ていうか、辞めた後も来てくれるよね?」
「もちろんだよ。私、ここの生ハムと海老のアヒージョ大好きだもん。絶対食べにくる」
「よかった。俺、美羽さんが来るの、楽しみにしてたから」
穂波くんは本当に安心したように声音を弾ませて言った。
この店に通っている内に、自然とスタッフさんたちと親しくなった。そんな中でも私が一番気楽に話をすることが出来たのが、この穂波くんだった。
最初は、大きな体と鋭い目つきに気圧されてしまって満足に目も合わせられなかった。迫力のあるイケメンさんとの接触なんてこれまでの人生でなかったもん。
だけど、笑った瞬間すごく柔らかな雰囲気になって「また来てくださいね」って優しい声音で言われた時から、私の警戒心は解けた。
感じがいいなあ、この人。そう思って、そしてそれは間違いじゃなくて、私はここに来るたび、穂波くんとなんてことない会話を楽しめるようになったんだ。
「本当にありがとね、穂波くん。営業トークであっても鵜呑みにして喜んじゃう」
「営業トークとかじゃないし! 俺、美羽さんのこと」
「こらこら、穂波ぃ。美羽ちゃんにばっかりかまってないで、私のワインもってこーい!」
がば、と穂波くんの背後に抱きついたのは、すっかり酔った様子の椋田さんだった。今年四十歳になる椋田さんは、普段はバリバリ仕事をこなすかっこいい女性なのなのだけれど、お酒が入ると途端にかわいくなる。今も、仕事中じゃ考えられないようなへにゃへにゃした笑顔で、穂波くんの逞しい首を絞める真似をしていた。
「いっつもいっつも美羽ちゃんばっかりに声かけちゃってー。お前も若い子が好きかぁ」
「苦しいっすよー、姐さん。ほらほら、ワインでしょ。持ってくるから待ってて」
「どうせ美羽ちゃんのこと狙ってるんでしょぉ」
「ほらほら、椋田さん。穂波くんが苦しそうですよ? ほら、サーモンのテリーヌ、食べませんか? お好きでしたよね」
立ち上がり、椋田さんの分を取り分ける。
「美羽ちゃんありがとぉ」
むふふ、と椋田さんが笑った、その時だった。
「実は私も、今度退職するんです」
ざわめきをかき消すような、凛とした声が店内に響いた。
「え?」
するりと穂波くんの首から手を離した椋田さんが振り返る。
私も、穂波くんの向こう側に視線をやった。
声の主は、比呂の横に座っていた薫子さんだった。
「え?」
みんなの視線を集めた薫子さんは、ふいに比呂の腕を掴んで立ち上がった。
「なんと! 私はこのたび、この栗原比呂と結婚する事になりました!」
……え?
冗談? 聞き間違い?
混乱する私を置いて、薫子さんは幸せそうに笑いながら続けた。
「現在妊娠三ヶ月です。授かり婚なの。ね、比呂?」
比呂に視線を向ける。呆然とした表情だった比呂が慌てて「今言うことじゃないだろ」と言う。そんな比呂に、薫子さんはぷう、とかわいらしく頬を膨らませてみせた。
「だって、早く言いたかったんだもん。それに、祝福は一人でも多い方が嬉しいでしょ? だから私ね、美羽ちゃんがいる間に言いたかったの」
ね、美羽ちゃん。と薫子さんが私に顔を向けた。
「お祝い、言って」
その眼は全然、笑っていなかった。