悪霊の微笑


 崖の下に辿り着くと、息子も父親と一緒に魚釣りを始めた。
 我が子と一緒にこうして肩を並べて魚釣りができる事を、父親はとても嬉しく思った。
 母親と娘は暇つぶしに磯辺の探索をしたりして過ごした。
 
 そうしている内に夕方になり、今日はここで釣りをやめようとした時。
 突然海面がバシャバシャと飛沫を起こし始めた。
 魚の群れであると判断した父親は、息子にも声をかけて一緒にその飛沫が起きているところへと針を投げた。
 すると、すぐに食いついてきた。
 父親と息子は二人してリールを巻く。
 だがかなり強い力で引っ張られる。
 さぞかし大物に違いない。
 父親は悟ったが、磯辺の探索も飽きて父親と弟が針を投げた海面をジッと眺めていた娘は、たちまち顔面蒼白になった。

 
 うねうねと蠢くそれは。

 何百、何千という人の手だったのだ。

 海面をもがきながら父親と息子の投げた糸に向かって集まってくる。

 さすがにその異常性に気付いた二人も、短い悲鳴を上げて釣竿から手を離した。
 海中に沈んでいく竿にどっと手が絡みついていく。
 意味が分かっていないのは母親だけだった。
 
 そんな母親を連れて、三人はその場から逃げるように地上へと上がると、荷物もそのままに車に乗り込んでエンジンをかけた。
 しかしどんなにキーを回しても唸るだけでなかなかエンジンがかからない。
 後部座席には娘と息子が肩を寄せて震えている。
 助手席に座っていた母親が一体何事なのかと、顔を青くしている父親へと詰め寄る。

 
 途端。

 
 バンとフロントガラスに血塗れの長い黒髪の女が物凄い形相で張り付いてきた。

 
「――行かせるものか……!」

 
 これにはさすがの母親も気付いて悲鳴を上げると、それに合わせるようにやっとエンジンがかかった。
 フロントガラスの女を振り払うようにして、父親は車を発進させるとその場を後にした。


 後に聞いた話だと、そのログハウスで殺人事件があり尚且つ、崖の方は自殺の名所だったらしい。
 同じ恐怖体験をした者同士、以降この家族の絆は強まった。



 了



 
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