ささくれとレモネード
とうとう、その矛盾を問われて、俺は意を決して口を開いた。
「陸上が、怖くなった。ある人の顔が何時でも浮かんできて、きっと、このままじゃ、俺は”競技者”ではとても居られないと思った」
上野も、俺も真っ直ぐ立っていた。砂にまみれた練習靴と、ぴかぴかのスニーカーで。
俺は、この時、その汚れた練習靴が、少し羨ましいとさえ思った。
「それから、この前走ったのはーー陸上を嫌いなままじゃ居たくないと思い始めたからだ」
もう一度好きになるには相当な時間も、精神も必要かもしれない。
だからせめて、これ以上嫌いたくはなかった。
「分かった」
しっかりとした声で上野は言った。
「岡本には俺から伝えておくよ、それから、」
見上げた顔が、少し笑ったような気がした。
「お前の退部届、まだ受理されてないよ」
「上野、」
「俺が頼んだんだ、あの時。”戻ってくるかもしれないから”って。だから、お前はまだ陸上部員なんだよ」
『俺はやっぱり、”競技者”としてのお前が見たいんだわ、今も』ーーその言葉の響きは、決して押しつけがましいものではなかった。
だから、俺は曖昧に笑った。
ぎこちないながらも、上野と顔をつき合わせて、久しぶりにお互いの歯を見た瞬間だった。