ささくれとレモネード
「ちゃんと走れたね」
榛名がそう呟くと、三浦は、いや、と首を捻った。
「ガクガク震えてたよ、走り出すまでは」
「でも、完走できたじゃない」
決して貶した言い方ではない、穏やかなその声色に三浦は頷いた。
「北村のおかげだよ」
三浦が左足を軽く上げると、差し出した時よりも草臥れたようなミサンガがそこに繋がれていた。
三浦は、二着でゴールした。
ゴールテープを切った上野は暫く脇腹を抱えて苦しそうに息を吐いていた。
それだけ、三浦の走りは現役の彼を本気にさせるものだった。
あの瞬間、クラスメイトの中でひとりだけ素直に喜べなかったことは、誰にも言える筈がなかった。
そしてハイタッチするクラスメイトに囲まれながら、心から安堵したこともまた、誰にも言う必要など無かった。
複雑な心持ちだったけれど、でも。
「すげー不安だったけど、風を切るのってあんなに気持ちいいものだったんだ、って思い出した」
俯いた三浦の顔に影が射す。
「やっぱり、俺は、好きなことやって認められたかったんだ」
長かった一日を惜しむような三浦の笑顔はどこか寂しげで、
「変わらず、底無しの親不孝者だけどさ」
そう言って親指を差し出して見せると、そこには痛そうなささくれが再び出来ていた。
「でも、それでも、多分何よりいちばん好きだったんだーー走ることが」
噛み締めるような、言い聞かせるようなその言葉に、榛名は笑った。
その時、榛名の口許には自然と笑みがこぼれたのだ。
「ハル、って呼んだら怒るよな?」
三浦は、榛名の目の色を覗き込む。
榛名は戸惑ったけれど、首をゆっくりと横に振った。
「だいじょうぶ」
そう呟くと、三浦の顔をしっかりとその視線が捉えた。
彼は真剣な顔つきをして、それから口を開いた。
「俺、ハルにずっと言えなかったことがあるんだ」
一呼吸置くと、そこからは何かに急かされたように三浦は言った。
「でもずっと言いたかったことなんだ。俺がハルって呼びたい理由も、それからハルに訊かなきゃならないこともあるんだ。もしかしたらハルにとっては忘れた過去かもしれない、全然知らないことかもしれない。それともーーまだ記憶に残ってることかもしれない。だから、言っても、訊いてもいいかな?」