*Promise*~約束~【完】


明くる日、リオは厨房に立っていた。

ボウルにバターを入れ完全に溶かし混ぜてから砂糖を投入して、卵も混ぜる。シャッシャッシャッと泡立て機が音を立てていた。

その様子をダースが横から眺めていた。



「クッキーかい?」

「……当てないでくださいよ、まだ何も言ってないのに」

「こりゃ失礼しました」



先に当てられ彼女はむすっとする。確かにクッキーを作っているのは確かだが、先に言われては面白くない。

バニラエッセンスを少し混ぜ合わせると、量った小麦粉をそこに入れた。

さらにクルミを細かく砕いた物を流し込む。



「ロッククッキーかい?」

「だーかーらー!」

「わかったわかった!怒らないでくれぇ」



リオは泡立て機の先をダースに向けた。まだ生地がドロドロと纏わりついていて彼は慌てて後ずさった。

その様子に彼女はふん、と鼻息を荒くさせると、またボウルに向き直り泡立て機を一心に動かす。

ダースは飽きたのかどこかへと行ってしまった。



「フォークとスプーンは……」



鉄板を用意すると、リオはフォークとスプーンを探す。スプーンで生地をすくってフォークで鉄板の上に広げるからだ。

ようやく見つけ出し、オーブンに火を点けてから作業に取り掛かった。

スプーンでひとすくいし鉄板の上に落とした生地を、フォークで少し形を整える。

なるべく同じ分量でないと火の通りが悪くなるし、大きさも揃えないと上手く鉄板の上に並べられない。だから地味な作業がしばらく続く。


全て生地を使い果たすと、オーブンの中にクッキーの乗った鉄板を配置した。よそ見をすればたちまち焦げてしまうだろう。

そのため、リオは椅子に座って待つことにした。


腰に収まっている重いものに意識が飛ぶ。



「はあ……」



重いものとは、もちろん短剣のことである。軽量化されているとはいえ、使う用途の重さは計り知れない。

それを撫でながら、ふと思い立つ。



(天秤って……何と量ればいいんだろう)



片方はライナットやバドランの罪の重さ。卑劣さや強引等の残忍さを見極める。

では、もう片方は何を乗せれば良いのだろうか。

何を基準にして罪を量る?自分だけの判断でそれをして良いものなのだろうか。ライナットの考えがいまいちわからない。

リオ一個人だけでライナットの命を殺めるのは、いささか奇妙にも思われる。ライナットはいったいリオに何を求めているというのだろうか。まだ数度しか会っていない者に何をさせようとしているのか。


まだ、何も見えてこない。



「嬢ちゃん、いい匂いしてんじゃねぇか」

「あ、ダースさん。焦げ臭くはないですよね?」

「まだ大丈夫みてぇだ。でも油断は禁物だぜ?」

「わかってます」



オーブンを覗くダースに頷いて見せると、彼は満足そうに笑って椅子に腰掛けた。


彼は善い人だ、とリオは感じている。

親切だし、茶目っ気もあるし、何より気配りができるただの人間。しかし、バドランに住んでいるというだけで身構えてしまうのはどうしてなのだろうか。

殺されることはない。なのに、どこかで畏怖を感じている。



(それはきっと、戦争のせい)



バドランのせいで父親や幼馴染みが召集されてしまった。もしかしたら、どこかで戦っているのかもしれない。あるいは、痛みに苦しみもがいているのかもしれない。あるいは……

土の中に埋まっているのかもしれない。

そう思ってしまっているから、心を開けないのだ。もし、彼らが自分の出身を知ったら?それともすでに知っていたら?

知っていたとしたら、なぜ生かす?

疑問は尽きないし、聞いてみたいが聞けない。聞いたら最後、何が起こるかわかったものではない。


リオは、ずっと一人悩んでいた。



「嬢ちゃ~ん。焦げるぜ」

「え、あ、は、はい!」

「気をつけねぇとな」

「すみません!ありがとうございます」

「いいってことよ。俺も食いたいしな」



ダースはニッと笑ってバスケットを用意し始めた。これから配膳をしに行くのだろう。

しかし、昨日エリーゼは何と言っていたか?



「配るんですか?」

「そうだが?もしかして、嬢ちゃん一人で全部食べる気だったのかい?配るためにこんなに焼いたと思っていたんだが」



ダースは何言ってんだ?とでも言いたげに頭を掻いた。その様子にリオはハッとする。



(私……疑った)



一瞬でも、人の良さそうなダースを疑った。エリーゼが言っていたことと矛盾していたため疑問に思ったのだ。

偏見をしているのは、他でもないこの私。戦争のせいにして、何を考えているのか。

同じ人間なのに、戦争の相手の国に住んでいるというだけで差別をしている。



(エリーゼ……あなたは)



つんけんどんなところがあるけど、本当はこのことに気づいて欲しかったのだろうか。やはり、自分の出身地を知られている。

にも関わらず、普通の人間として接してくれている。



(ダメだ……)



涙が、出そう。



「嬢ちゃんは部屋に戻りな。おまえさんはまだ自由に人会うことは許されてないだろう?」

「はい……戻ります」

「あとでエリーゼが持って来るだろうから楽しみにな」



厨房から出て少し経ってから、リオは俯いて歩いていた。爪先だけを見て無心で歩く。

考えれば、泣いてしまう。


すると、ドンと誰かにぶつかってしまった。しかし、すぐに誰だかわかって安心してしまった。



「ふっ……うっうっ……」

「なぜ泣く」

「うっうっ……」

「全く……ルゥのやつが言っていたのはこのことか」



ライナットはため息を吐き、リオの頭を優しく撫でた。彼女はそれを機に、堰を切ったように涙を流した。

ライナットの服にすがり付き、ぎゅっと握る。

彼は困惑したように瞳を揺らすと、一瞬迷うように瞼を伏せてからそっと腕を動かした。

徐々に上がっていき、やがては彼女の背中に回され抱き寄せた。リオはされるがままに身を委ね、泣き崩れた。



(どうして……)



どうしてこんなにも、皆優しいのだろうか。



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