*Promise*~約束~【完】
パーティー
数日後、リリスが主催するパーティーに招待された。その招待状にエリーゼは顔をしかめたが、リオは心配はいらないと明るく笑った。
エリーゼやルゥ、ダースに信頼を寄せたリオに怖いものはなかった。
確かに今は『善』だが、いつ『悪』になるかはわからない。しかし、今すぐ変わるようなことでもない。
裏切られるかもしれない。
リオは心のどこかでそう思っているが、怯えていては何も変わらない。彼らが歩み寄っているのだから、当の本人が無視しては礼儀に反する。
(進まなければ何も変わらない)
今はただ、進むのみだ。
「ねえ、これどう?」
「どれも一緒よ」
「ちゃんと見てってば」
「だから、どれも似合ってるからどれでも一緒なの」
「もう。こっちはちゃんと考えてるのに」
部屋の模様替えを考えているエリーゼはリオに向かって手をひらひらとさせた。そんな彼女に背を向け鏡を眺める。
リオは今、パーティーに着て行くドレスを選んでいた。色とりどりのドレスに目移りしながらも身体にあてがって雰囲気を楽しむ。
しかし、そんな彼女には目もくれずに、逆に邪魔そうにエリーゼは部屋の中を巡っていた。女子の部屋にしてはなんともシンプルな部屋で、リオに合うようにエリーゼのセンスで模様替えの構成を立てている。
その構成にドレスは含まれていない。
「オレンジ?ピンク?それともワインレッド?」
「あーダメダメ。あんまり派手な色は」
「そうなの?じゃあスカイブルー?それともイエローグリーン?」
「ライナット様の好みはクールな色よ」
「じゃあスカイブルーかしら」
「……まあ、そんな感じかしら。よし、構成はそんな感じね」
最後の言葉に、ん?とリオは首を傾げる。
試しに言ってみた。
「ちなみに、ライナットは何色なの?」
「え?何?ライナット様がなんだって?」
「……」
まさか、とリオは面食らった。
彼女は全くリオの話に耳を貸してはいなかったのである。
つまり、今までの返事はすべて一人言。うまい具合に返ってきていただけだったのだ。
まんまと騙されそうになった。
「エリーゼ、一人言多すぎ」
「何か言っていたかしら?」
「……もういいよ。模様替え楽しみにしてる」
「任せときなさい」
リオは苦笑しつつお礼を言った。なんだかんだ言っても、リオもクールな色が好きだったし模様替えなんて自分一人ではできないだろう。
エリーゼには本当に感謝しているのだ。
「で、ライナットは何色着て行くの?」
「さあ。気分次第じゃないかしら」
「曖昧ね」
「部下の私たちでさえもわからなくなるときがあるもの。仕方ないじゃないの」
やはりライナットは謎が多いらしい。実際、リオにもわからない。今度のパーティーでいくらか話せればいいのだが。
しかし、王子というのは面倒くさいようで、挨拶をしに人だかりができてしまうそうだ。しかも今の状況を考えれば、ガナルの悪態をつく輩も出るかもしれない。
あまり、そういうのは聞きたくないものだ。
「で、スカイブルーだっけ?」
「なんだ、ちゃんと聞いてるじゃん」
「そんだけ握ってれば嫌でもわかるわよ。でもシワができるから止めてちょうだい」
リオはまだ周りにはあまり広まっていない。今度のパーティーで、婚約者だと発表させる気だろうとリリスは思っているのだろう。
別にそれは構わないのだが、馴れ初めを根掘り葉掘り聞かれては堪ったものではない。勝手にベラベラと喋っては帳尻合わせが間に合わなくなる。
一度、ライナットと話をしなければならないだろう。
「今日ってライナットに会える?」
「多分」
「多分?スケジュールを把握してないの?」
「そうじゃないわよ」
エリーゼはかぶりを振って、リオに気の毒そうな表情をした。
それでもエリーゼは続けた。
「山に行ってるのよ」
「山……」
彼一人を見つけるには、相当の運と覚悟が必要になるようだ。
「健闘を祈るわね」
エリーゼにそう素っ気なく言われたが、ライナットを探す旅に出かけることになった。歩いていればそのうち遭遇するだろう。
リリスの耳に入らないように、隠密に着替えを済ませ塔からこそこそと出た。
久し振りの外に感動を覚えたが、すぐに表情を引き締める。
「さてと」
靴紐を結び直し、出発した。
ーーーーー
ーーー
ー
歩けど歩けど誰もいない。しかし、緑が溢れ閉塞感たっぷりだった部屋から出られたのは幸運だった。外の空気は美味しい。
木々を眺めながら進む。草を踏む音が響き、鳥の囀ずりがリズムを刻む。こんなにも外というのは解放感に満ちているのだと改めて認識した。
今は秋。ほんのりと葉が紅葉し、落ち葉の絨毯があと少しでここら一帯を埋め尽くすだろう。
カエデの木は赤く、イチョウの木は黄色く。混ざり合えばオレンジに。
そんな風景を想像したがら足を進める。その内、匂いが変わってきた。
焦げ臭いような匂い。
(まさか……)
リオは歩くスピードを速め、少し急な傾斜を進む。すると、水の音が聞こえてきた。川が近い。
無我夢中でそこまで到達すれば、いつの日かの滝壺。薬草はまだ群生している。
しかし、そんな薬草に彼女は気づかなかった。滝の頂上で絶句する。
「なんてことなの……」
そこからの景色は最悪だった。
住んでいた村が、灰と化していたのだ。
黒くなった家。禿げた大地。朽ちた草木。
原型がわからないほどに、村は変貌してしまっていた。もはや家畜が生きているという希望も持てないほどに……
思い出も未来も、炎によって焼き尽くされ抹消された。生きていた証もすべて焼かれ、灰となり、今や朧気となった村の全貌を思い出せなくなってしまった。
風に乗って流れる、昔の記憶。
「お父さん、ディン……これを見たら」
これを見たら、どう思う?
「残酷なものだ」
隣に誰かが立った。膝から崩れたリオには靴しか見えないが、頭から落ちてくる声によって誰だかわかる。
なぜ、彼は……
「あなたが、やったんでしょう?」
「俺がやったのには変わりない。しかし、俺がやりたくてやったわけではない。結果としてああなってしまったんだ」
「そんなの言い訳にしかならないわ。あなたはそうやって逃げている臆病者で卑怯者よ」
「そうだ。俺は臆病で卑怯だ。だから言い訳も逃げることも平気でできる」
それは百も承知だ。だが、やったことには相違ない。過去は消せない。
自分の全てを、故郷の全てを奪った男がここにいる。
リオは立ち上がり、赤く腫れた瞼でライナットを睨んだ。
「そうだ、その目だ。俺を憎め。そして殺せ。俺はそれだけが望みなんだ。生きる意味も希望も持たない俺をどうか殺してくれ」
口元に微笑を浮かべながら、ライナットはリオを見た。彼女は睨み付けながらも、凛とした出で立ちで村へと視線を向ける。
もはや村とは呼べない大地。農場で生きていた全ての命がそこに眠っている。逃げることもできず、助けを求めることもできずに散っていった命。
だからこそ、殺すわけにはいかない。
「嫌よ。殺さないわ」
「何?俺が憎いんじゃないのか?」
「ええ、確かにそうよ。でも、あなたは生きているのが苦しいの」
「それがどうした」
「私は思ったの、あなたは生きている方が辛いのだと。だったらお望み通り殺してあげるのではなく、生かす。その方が苦しいでしょう」
「だが、そうすれば俺はまた操り人形となり人を殺めることになる」
「そのときは私があなたを止めるわ」
有無を言わさない強い口調にライナットは押し黙る。彼女の断固とした態度に怯んだのだ。
(彼女は、強い)
ひ弱な自分とは違い、自分の意志をその心に宿している。
(俺は逃げてばかりだ)
現実から背を向け、目を逸らし、走って逃げてきた。しかし、それは間違っているのかもしれない。
操り人形にも心が宿ったら、どんなに楽だろう。
しかし、自由を知らない人形にとって、自分の足をどうやって動かせばいいのかその術を知らない。まさに成す術がないのだ。
思い通りに動かない身体をいっぺんに動かすのは不可能なのだから、少しずつ覚えていけばいいとは思う。だが、見本がいない。手解きを教えてくれる者はいない。
今までは。
では、これからは?
(こいつについて行けば、いずれは歩けるようになれるのだろうか)
こんな自分の手を、おまえは引っ張ってくれるか?
「なあ、ひとついいか」
「何よ」
「俺を、変えてくれ」
「え?」
「一人でも歩けるようにしてくれ。糸に頼るのはもう懲り懲りなんだ。自由にしてくれ。俺を引っ張り出してくれ」
おまえみたいな、人間にしてくれ。人形になんて成りたくなかったんだ。
王子なんて地位は誰にでもくれてやる。その代わりに自由を与えてくれ。自由だけが欲しいんだ。
ライナットは潤んだ瞳を隠そうとせず、リオを見つめた。その懇願するような瞳に彼女は困惑したが、だんだんと目を細め僅かに微笑んだ。
「自由なんて、誰にでもあると思うけど」
自由は目に見えない。だから、有無なんて関係ないのだ。
「でも、それを無いと感じるなら導いてあげる。その可哀想なところから出してあげるよ。人殺しなんてしたくてするもんじゃないし」
リオはライナットに歩み寄ると、片手を掴み両手で包んだ。ぎゅっと握れば、体温が感じられる。
生きている。生きていれば自由はある。自由になるには、生きなければ。
殺してしまった人の分まで。
「それにね、多分この村に住んでいた人は皆避難できたと思うんだ。もともと少なかったし、少しだけど男性も残ってたから」
「どういう意味だ?」
「え?知らないの?ガナルの田舎から男性を集めて出陣させる徴兵令が出されたのよ。随分前だけどね。だからお父さんも幼馴染みも皆いなかったのよ」
「……戦争を望んでいるのはガナルの方じゃないか」
「何言ってるのよ!そっちが無理やり調印を望んだからじゃないの!」
「違う!こっちは条件を出したんだ」
「どんな条件なの?」
声を張り上げたリオを宥めるように、ライナットは静かな口調で語りかけた。
彼女も気を静めようと拳を握り締める。
「最近、バドランと調印をしていない近隣諸国がガナラを狙い始めたんだ。その諸国からガナラを護ること、護る代わりに特産品を渡すことを条件に交渉していたんだ」
「じゃあなんで火なんか放ったのよ」
「あれは不可抗力だ。諸国の兵士があの村周辺を彷徨いていたから追い払おうと後を追っていたんだ。こちらの領地にまで出入りし始めたため無視はできなくなった。
その追っている最中に部下の不注意で松明を落としてしまったんだ。その火が燃え広がり、この村にまで到達してしまった。逃げ遅れている村人を探しているときにおまえを見つけた」
その話に、リオは唖然とした。解釈とまるで一致しない。
では、ライナットはその偶然に罪を感じ罪悪感に苛まれていたのだろうか。
「それじゃあ、あなたの責任にならないわ」
「いや、火を放ったのは結果的に俺だ。責任を取られればバドランは喜んで俺を差し出すだろう」
「そんなのあるわけない。あなたは王子なのよ?」
「王子だからこそだ。王子の命は重い。例え免罪だとしてもガナラは俺を処刑する権利を得る。俺一人の命でガナラの気がすむのならそれ以上の犠牲を払わなくてすむんだ」
それが俺の今の立ち位置だ、と締めくくった。
リオは頭が混乱していた。つまり、誰が悪いのだ?彼か?周辺諸国か?
彼に本当に罪はあるのだろうか?