*Promise*~約束~【完】
それから色々と話し合った結果、馴れ初めを聞かれても教えないということになった。
例えリリスに聞かれたとしても。
ライナットが話した噂が広がっているため、それ以上詳しく言ったところで後々辻褄が合わなくなれば厄介になる。となれば、口をつぐんでいる方が得策だろう。
「ねえ、クッキー美味しかった?」
「クッキー?昨日のやつか?」
「うん!私が焼いたんだよ」
「料理ができるんだな」
「じゃなくて、美味しかった?」
「……」
リオの欲しい言葉をなかなか言ってくれないライナット。恥ずかしいのか目を逸らしてしまった。
彼女は詰め寄って笑いながら顔を覗き込んだ。しかし、また顔を背けられる。
だんだんと悲しくなってきた。
「あっそう。私帰るね」
リオは暗いオーラを漂わせながら踵を返した。言ってくれないのならここに留まる理由はない。用もすんだことだし、エリーゼが昼食を持って来る時間も迫っている。
そして何より、こんな国境付近にいるところを誰かに見られればライナットに影響が出るかもしれない。有らぬ疑いを掛けられては申し訳ない。
例えば、リオは実はガナラのスパイで、ライナットが手引きをしている、とか。
「おい、待て」
「何?帰るんだけど」
「……かった」
「え?」
「美味かった!それだけだ!」
「え、あ、ちょ、ちょっと?」
リオが歩いていれば、後ろからライナットが迫って来て腕を取られた。不機嫌そうにリオが振り向けば、彼は耳まで赤くしながら言い逃げをしてスタスタと歩いて行ってしまった。
呆気に取られるものの、その不器用さに口元が緩む。
時々大人びて見えるが、やはり彼はまだ十九歳なのだ。
「ライナット!待ってよ」
「……」
「恥ずかしがる必要なんてないよ。むしろ言葉で言ってくれなきゃわかんない。ライナットって思ってることとか考えてることを教えてくれないからさ」
「悪かったな」
ボソボソっと答える彼に苦笑した。自覚はあったようだ。
「だから、もっと話そうよ。ライナットってお喋り苦手でしょ」
「……悪かったな」
図星だったようで、歩く速さを上げられてしまった。彼の長い足では小走りでついていくのがやっとだ。
筋肉痛になりそう、とリオは思いながらもまだ話しかける。
「でも、別にお喋りをしたいわけじゃないのよ」
「……」
「あなたのことがもっと知りたいから、こうやって話しかけてるの。あなたは私を知りたいって思わないの?わかり合うには直接ものを言わないとわからないままよ」
「……それは思う。思うんだが……上手く話せなくなる」
「これから出来るようになればいいのよ。まだまだ若いんだから」
「おまえ、歳は?」
「言ってなかったっけ?」
「いや、忘れた」
ライナットはいつの間にか歩調を緩めてリオに合わせていた。彼女は歳を聞かれて首を傾げる。どうやらまだ覚えられていなかったようだ。
(でもルゥは知ってたな。エリーゼが教えたのかな)
リオはそんな初歩的なところから話をしなければならないな、と確信した。
「十七だけど」
「十七か。それにしては子供っぽかったり大人の意見を言ったり掴みづらいやつだな」
「褒められてるんだか貶されてるんだか」
肩を竦めれば苦笑された。
「褒めているんだ。俺と違って着実に大人になりつつあるのだと」
「そう?あなたの方が大人に近いと思うけど」
「俺はまだまだ子供だ。言われたことしかできない」
ライナットはいつも自分を卑下するような言い方をする。それが気に食わなかった。
言われたことをきちんとできるのも、大人だと思うのだが。
「あ、ねえ。パーティー何色着るの?私はスカイブルーにするんだ」
「俺は……わからん」
「青は?あなたの瞳とよく似合うと思う」
「そうだろうか」
「自信持ってよ。婚約者がこんな優男じゃやってらんないわ」
「優男、か。確かにそうかもしれない」
だが青にする、とライナットは答えた。それに笑顔を返した。
こうやって意見を少しずつ共有し合えば争い事なんて無くなるのに、と彼女はその時思った。
人間には、言葉という素晴らしい文化があるというのに。
「一つ聞いていいか」
「ん?」
頭一つ分大きい彼を見上げた。彼は基本無表情だが、今は少しだけ明るい表情をしているような気がする。
「なぜ、リオなんだ?リオーネだろ?」
「うーんと。まあ、リオーネなんだけどね、お母さんの名前がリオーネなの」
「同じ名前を付けられたのか」
ライナットが明らかに驚いたような表情をしたため、慌てて弁解しようと手を振って見せた。
母親は母親なのだが……
「実の母親の名前がリオーネで、再婚相手はまた別」
「再婚?」
「その再婚相手も不慮の事故で死んでしまったんだけど」
川に流されたのはその再婚相手。実母はリオが産まれてすぐにどこかへと居なくなってしまったそうだ。
実母とは今まで会うこともなく、父親からもあまり話をしてもらえなかった。昔はよくせがんだものだが、言いたくないのなら無理に聞いても意味はないと諦めた。
その実母の名前が、リオーネ。
「再婚って言っても、結婚はしてなかったんだ。それなのに私が産まれてしまったから怖くなって逃げられてしまったんだと思う」
「では、そのリオーネという名前は偽名かもしれないな」
「偽名でも実名でも、私の名前には変わりないよ。リオっていうのはあだ名みたいなものだし。でも今ではリオで定着されてるけど」
彼女は肩を竦めてみせた。確かにリオの方が短いし覚えられやすい。
それに、彼女にぴったりだとライナットは思った。
「リオーネ=アナカルト。それが私のフルネームだよ」
「アナカルト……聞かないな」
「そりゃー知ってたらビックリするな」
「リオーネ=バドランになってしまうが、異論はないか?」
その言葉にリオは顔を強ばらせた。ライナットは一瞬しまった、と後悔したが撤回はしない。
いずれはやってくる壁だ。これはある意味プロポーズでもある。
「逃げたければここからいつでも逃げられる。だがおまえはしない」
「そう……だね」
「俺は初めからおまえが気になっていたんだ。一目惚れ、とまではいかないが」
「私も……気になってた」
「だから、受け取ってほしい。婚約指輪があれば、俺はパーティーにでもどこにでもおまえを堂々と連れ出せる」
「じゃあ、今まで幽閉に近かったのって……」
「俺のものだという印がなかったからだ。もの扱いになってしまっているが、俺はそんな風には思っていない。しかし、周りの目があってな」
ライナットはポケットから黒い箱を取り出すと、それを開けた。
そこには、シルバーのリングが一組収まっていた。宝石のついていないシンプルなリング。
しかし、彼らしいと思った。
「ありがとう」
「受け取ってくれるのか」
「もちろん。逃げたところで行く宛もないし、何より」
あなたを置いては行けない。
そう言うと、ライナットは目を見開いた。そしてゆっくりと笑顔になるとリオを抱き締めた。
固く、離さないように。
「今、思ったことを言ってもいいか」
「どうぞ。でも多分、同じことを思ったよね」
「ああ。そうだな」
好きだ。心から。
二人はゆっくりとお互いの顔を近づけた。